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カテゴリ:書評
悼む人 「1Q84」のちょっと前に大評判になった作品。 日本全国にちりばめられた死者ゆかりの地を 文字通り行脚しては、ひたすら『悼(いた)む』人のお話。 『悼む人』こと静人は、死人が出たと聞けば 日本全国どこでも赴き、ひたすら悼む。 そこに何の意味や目的があるのかは、 本人もよくわからない。 でも、 悼まずにはいられない。 『悼む』ことと、『冥福を祈る』こととは、 動作だけを見れば同じように見えるが、 本質的は異なる。 悼むことは使者が安らかに眠ることを願って 『冥福を祈る』ことではない。 宗教も全く絡まない。 では何をするのか、 死者がこの世に確かに存在したということを、 深く深く胸に刻み込むのだ。 その為に、彼は訪れた場所で、 死者にまつわる話を周りの人に聞いてまわるのだが、 通常一番関心をもたれやすい、 『どんな風に亡くなったか』という点に関して、 彼全く関心を示さない。 彼の興味は3つ。 故人がどのような人に愛し、 愛され、感謝されたのかということ。 この3点のみを聞きだし、 この3点のみを胸に刻むよう悼んでいく。 亡くなったその人がかけがえのない 一人の人間であったことを示す要素は、 結局のところ、そこに収斂し、 それ以外の要素に焦点を当てても、 かえってその人への関心がぶれてしまうことに、 彼は気付いていた… 彼に出会った人間は、 99%が彼の行いを不審がり、いぶかしむ。 がしかし、次第に彼に影響を受け、 やさしい面持になっていく。 丹念にその人生を辿っていけば、 どんな人でも、少なからず、 人を愛し愛され、感謝されていたりする。 死んだ方がいい人などいないけれど、 人はいつか死ぬ。 そうなった時、 残された人に出来ることは、 結局のところそういうことなのかもしれない。 故人の良かった部分を出来る限り思い出し、 忘れないようにする。 そうすることによってのみ、 故人は心の中で生きることが出来る。 父を失った友人が、 「お父さんは心の中に生きているから…」と 話していたことを改めて思い出した。 私もそのうち、 いろいろな死と向き合う時期が訪れる。 そのときに後悔しないよう、 その日その日をしっかりと生きていかないと。 当たり前のことを改めて思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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