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カテゴリ:澤田美喜さん
『なぜ毎年お墓参りをするのか…』 は、またいつか書きます 澤田美喜さんの事を書くことは、非常に心苦しい 私の文章力と表現では、正しく伝えられないから… 澤田美喜さんについては サンダース・ホームの卒業生の方から語られる言葉 一緒に尽力された、たい先生のお話し 著書の中から…が一番なのですが ここは【☆なゆタム☆】のブログ 私から見た 【澤田美喜】さんの存在について、書きたいと思います もうしばらく…お付き合い下さいm(_ _)m 前置きが長くなりましたが 【澤田美喜】さんをインターネットで検索したら 何が出てくるのか分かりませんが 多分こんな事ではないかと… ********************** 三菱財閥創業者の孫娘として生まれ 後に初代国連大使となる、澤田廉三氏の元に嫁ぐ 外交官夫人として、赴任先の世界各地に同行し 戦後は混血孤児の養護施設【エリザベス・サンダース・ホーム】を創立 混血孤児の養育に生涯を捧げる ********************** もっと詳しく調べられるのかもしれませんが 澤田美喜さんの育った環境、経歴、実績を まとめて文字で読むだけでは、勘違いしてしまうかもしれません 『お金持ちのお嬢様が資金を出し 慈善事業を行い、功績を讃えられました』 …こんな風に 現実は… それは一言では言えない苦難の道であったようです 戦後の岩崎家は財閥解体により、すべての資産を没収され 外交官であった、夫廉三氏は、公職追放となりました 施設の設立は、何もない所から始まったのです 施設となる大磯の別荘は すべて資金を自分の足でかき集め、買い戻し 身の回りにあった品々は、ミルクとオムツ代に消えていき 資金集めのため 罵声をあび、陰口を言われ、酷い偏見と差別を受けながらも 澤田美喜さんは、決して諦めず、己の【志】を貫いて 多くの尊い罪なき命を救ったのです それでも…戦争を生き抜いた人は 戦後の混乱の中、明日をもしれない生活をしていた者からすれば 他人を案ずるだけの余裕があったから、出来たのだろうと 思われるかもしれません もしそうだとしても… その立場になっていたら、私財をすべて投げ出して… それを実行できたでしょうか? 誰もが、自分が、自分の家族が一番かわいい 戦後の混乱の中だからこそ、そんなバカな事を誰がするでしょう 現代でも同じ 例えば… 老人ホームの火災で、たくさんの人が犠牲になったように… 施設は、金を運んでくれる老人を多く詰め込めと 根本的な施設の目的も語られず 補助が受けられる基準ばかり気にしている いったい何が一番大切なのだろう お金にかえられない 【心】【志】を大切にすることは バカげた損をする生き方なのだろうか そんな思いがずっと…私の心の中に眠っていました 澤田美喜さんの存在を知ったことは 私にとって大きな【気づき】でした …もっと伝えたいのですが、きりがありません 詳しく知りたいと思われる方がおられましたら 日本図書センター[人間の記録134] 澤田美喜‥黒い肌と白い心~サンダース・ホームへの道 を読んでみてください 書きたいことはたくさんあるのですが、またの機会に… 今日は… 堅苦しい事を、クドクド書いちゃいましたねf(^_^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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