カテゴリ:日本でのつれづれ
母に電話すると、「今日は忘れられない日ね。」としみじみと言った。
広島に原爆が投下された日、小学生だった母は広島県の山奥に集団疎開していた。 母は、疎開先で栄養失調と肺結核のためぼろぼろになっていたそうだ。 その日は、母の父親、つまり私の祖父がそんな娘に会いに行くために香川から広島に来ていた。 そして、祖父は被爆したのだ。 その瞬間、祖父の履いていた長靴が真っ二つに裂けたらしい。 戦争が終わり、母は香川に無事帰ったが、祖父は被爆のため床に伏せり、何日も苦しみながら血を吐いて死んだという。 「お父さんは毎日大量の血を吐いてかわいそうだった..」 子煩悩でやさしい父親を大好きだったと母は言う。 私は、祖父の顔を一枚の写真でしか知らない。 目のぱっちりしたなかなかのイケメンだ(笑) あの日、数え切れない人々から家族を奪った一発の悪魔のことは絶対に忘れてはならないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.08.07 01:35:51
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