立石・四つ木散歩(2/2)ペスタロッチ/葛西清重墓
前回の続きですが、立石・四つ木散歩の後半を紹介します。中川には本奥戸橋が架かっています。川の側には、地蔵尊、馬頭観音、道しるべの石碑が建立されています。その付近はスイスの教育家「ペスタロッチ」の名前が付いた広場がありました。渋江公園には、葛飾区セルロイド工業発祥記念碑、葛飾区四つ木に石毛晒(さらし)工場を設立した石毛慶次郎氏の銅像、岬太郎銅像があります。西光寺の近くには四つ木つばさ公園があり、大空翼の像が建っています。その近くには、鎌倉時代、関東の豪族であった葛西三郎清重の墓があります。↑ 中川と本奥戸橋。↑ 本奥戸橋。↑ 河川敷。↑ 本奥戸橋。↑ 本奥戸橋。↑ 中川とボート。↑ 京成バス奥戸営業所。↑ 京成バス。↑ 本奥戸橋。↑ (右)地蔵尊、(中)馬頭観音、(左)道しるべ。地蔵尊は、江戸初期の貞享2年(1985年)に建設された。建立当時は、現在の橋際の堤防内にあわもち屋という家があり、その前にあった。馬頭観音は江戸時代の半ば以降に、農耕馬や運送場が普及してから、保護仏として広く信仰された。道標(みちしるべ)は、出羽三山(山形県にある月山、湯殿山、羽黒山)の信者の人々が参詣の記念に、宝暦5年(1755年)に建てられた。↑ 地蔵尊、馬頭観音。↑ 地蔵尊、馬頭観音、道しるべの由来。↑ ペスタロッチ広場。ペスタロッチはスイスの有名な教育家。なぜ「ペスタロッチ広場」なのか、分からなかった。↑ ペスタロッチの石碑。↑ 人間の知・徳・体の諸能力の調和的発展の基本は、家庭及び万人修学の小学校での基礎陶冶にあり、その方法は直観・自発活動・作業と学習の結合に基づく。ペスタロッチ(Pestrozzi)。↑ 奥戸街道。↑ 立石仲見世。↑ 東京消防庁本田消防署。↑ 渋江公園。↑ 葛飾区セルロイド工業発祥記念碑。所在地:葛飾区東立石3丁目3番1号。日本のセルロイド工業の歴史は、明治10年(1877年)に神戸の外国人居留地にセルロイド板がもたらされたことに始まる。その後明治41年(1908年)に堺セルロイド㈱と日本セルロイド人造絹糸㈱が設立され、本格的な製造に乗り出した。葛飾区のセルロイド工業の発祥は、大正3年(1914年)、旧播磨国明石藩出身の実業家・千種稔(ちぐさみのる)氏が「千種セルロイド四ツ木工場」をこの地に設立した。セルロイドの玩具が造られた。↑ 葛飾区 セルロイド工場 発祥記念碑。↑ 石毛慶次郎氏像。石毛慶次郎氏は1909年に、葛飾区四つ木に石毛晒(さらし)工場を設立した。↑ 石毛慶次郎氏。↑ 石毛慶次郎氏。↑ 渋江公園内の岬太郎像。↑ もん字屋。(お好み焼き、もんじゃ焼き、鉄板焼き)店の看板が目についた。↑ こどもびいる。↑ こどもびいる。↑カルピス。↑ 大塚のボンカレー。↑ オロナイン軟膏。↑ オロナミンCドリンク。↑ 金鳥蚊取り線香。↑ 京成押上線の踏切を渡る。↑ 葛飾郵便局。↑ 中沢早苗銅像。↑ 東京四木教育学院。↑ 四つ木つばさ公園。↑ 四つ木つばさ公園内の大空翼像。記念写真。↑ 西光寺。↑ 西光寺。↑ 葛西三郎清重(かさいさぶろうきよしげ)の遺跡。西光寺は鎌倉時代、関東の豪族の葛西三郎清重の居館跡として知られる。寺は1225年、清滋野創建と伝えられる。近くには清重塚と称する古墳があり、葛西清重夫妻の遺骸を葬った場所と言われる。ーーーーーーーーーーーーーーー↑ 葛西清重墓。葛西清重(1162年~1238年)は、鎌倉時代前期の御家人で、平安時代末期から下総(しもうさ)国葛西(かさい)地域に勢力をもつ豪族だった。清重は源頼朝(みなもとのよりとも)の挙兵に応じて平氏追討のために西国に赴き、また奥州藤原氏征伐にも参加して功績を挙げ、奥州惣奉行として奥州支配の任に当たった。↑ 葛西清重墓。↑ 葛西三郎清重墓。↑ 四つ木荒川河川敷。↑ 首都高速中央環状線。↑ 首都高速中央環状線。↑ 京成電鉄・四ツ木駅。