カテゴリ:美術 / Art
作家・池波正太郎さんといえば、「鬼平犯科帳」、「剣客商売」など歴史小説が有名ですが、私は池波正太郎さんが書かれたフランス映画、ヨーロッパ旅行記を読むのが好きで、特に新潮文庫の「フランス映画旅行」は何度も繰り返して読みました。
昔のパリはとても真っ黒な街だったが、今は白くなったという出だしから始まり、池波正太郎さんが50年もフランス映画を見続けてきた事、大好きな芸人(俳優)のジャン・ギャバンの人生を軸として、フォリーベルジェールやムーランルージュの事も書いてあります。 フォリーベルジェールで有名な芸人である「モーリス・ジュバリエ」、「ジョセフィン・ベーカー」、「ミスタンゲット」についても紹介されていました。 池波正太郎さんはフランス映画を沢山見てきたので、初めてパリを旅行したときも、全然初めて来たような気がしなかったそうです。 宝塚歌劇団で活躍された上月昇(こうづきのぼる)さんが、フォリーベルジェールで出演したことが書いてあります。「フランス映画旅行」のP37に下記の記載があります。 「だから去年、宝塚出身の上月昇(こうづきのぼる)がフォリーベルジェールに招かれて出演したら、パリジャンたちがびっくりして大喝采だったというんだね。そりゃそうだろう。上月ほどの芸人は一人もいなかったよ」 ↑ 持っている池波正太郎さんの本。 ↑ フランス映画旅行/池波正太郎/新潮文庫 この本は本当にお気に入り。 池波正太郎さんがフランスを旅行している間、まるで自分も一緒に旅行しているような気分になる本。 フォリーベルジェール、ムーランルージュ、そしてジャン・ギャバン、ジョセフィンベーカー、ミスタンゲットなどのことが書いてある。 ↑ P35。池波正太郎さんが描いた「フォリーベルジェール」。 ↑ P35。池波正太郎さんが描いた「ムーランルージュ」。 ↑ P37。「モーリス・ジュバリエ」、「ジョセフィン・ベーカー」 ↑ P46。 「ミスタンゲット」。 ↑ 私が買った絵はがきより。 フォリーベルジェールの下の部分に、「NOBORU KOZUKI」とある。宝塚歌劇団で活躍された上月昇(こうづきのぼる)さんが、フォリーベルジェールで出演したときのもの。 ↑ ドンレミイの雨/池波正太郎/新潮文庫 池波正太郎さんがパリで行きつけだった居酒屋「B.O.F」がなくなってしまった事や、フランスを旅行したことが書いてある。藤田嗣治さんの礼拝堂も行かれていた(P83)。シンガポール、バリの旅行も追加されている。 P129からP144は、フォリーベルジェールについての事が書いてある。 ↑ 旅は青空/池波正太郎/新潮文庫 池波正太郎さんが、フランスとスペインを旅行したときのもの。旅行先の風景を描かれた絵も、カラーで紹介されている。 ↑ 私の歳月/池波正太郎/講談社文庫 P147から「映画を楽しんだ40年」として、いかに時間を惜しんでは映画を見に行ったかが書いてある。そしてP151からは、大好きな映画俳優「ジャン・ギャバン」との架空対談をしている。 ↑ 池波正太郎のフィルム人生/池波正太郎/新潮文庫 ジャン・ギャバンについて触れられている所がある。P171の「ゴルゴダの丘」、P200から「すぐれた映画というものは、人間の生活の原点のところを簡明に示しているね」 ↑ あるシネマディクトの旅/池波正太郎/文春文庫 フランス紀行をまとめた本。 ↑ 映画を見ると得をする/池波正太郎/新潮文庫 映画を観るということは「いくつもの人生を見る」ということだ。 ↑ よい匂いのする一夜/池波正太郎/講談社文庫 池波正太郎さんが、日本と海外の良い宿を再訪して紹介している。 ↑ コートールド美術館展で購入した図録。 「コートールド美術館展 魅惑の印象派/MASTERPIECES OF IMPRESSIONISM THE COURTAULD COLLECTION」/朝日新聞・NHK/NHKプロモーション。 ↑ マネの絵画/ミシェル・フーコー/阿部崇訳/ちくま学芸文庫。 P181。 「フォリーベルジェールのアルコール売りーその背中は鏡に映っている。だが、画家がうっかりしていたせいだろう。彼女とお喋りしているムッシュー、鏡に姿が写っているその男性は絵の中にいない。-われわれはその描き落としをここで修正しておかねばと考えた次第である」。 ↑ MANET PIERRE COURTHION. オランダにいる時に購入したマネの本。 ↑ EDOUARD MANET PIERRE COURTHION. HARRY N.ABRAMS, INC., Publishers, NEW YORK. ↑ A BAR AT THE FOLIES-BERGERE. P124~125。 ↑ フォリーベルジェールのバーの説明文。 ↑ ジャニオはマネがこの絵(フォリーベルジェールのバー)を制作しているのを見ており、1907年4月10日発行の「グランドレビュー」に、この時の思い出を書いている。 「私はマネの後ろにある椅子に座り、彼の仕事を見ていた。彼はモデルを描いているにも関わらず、モデルをそのまま模写している訳ではなかった。単純化していくという彼の偉大な才能を私は認識した。彼は女性の頭部を描き始めたが、決して見たままを描いてはいなかった。全てが凝縮されており、トーンが明るくなればなるほど、色がより輝いてきて、色値が均一になってきた。全てが軽く優しい調和を持った。 私はチャップリンの事を話題にした。するとマネは、シャンペンボトルの口に巻き付けてある金の紙を細い線で描きながら、「彼はとても才能があるよね。そうだろ」と言った。 他の人たちも私たちに加わると、マネは絵を描くのを止め、左側の壁を背にして長椅子に座った。そして私は、病魔がどんなに彼を蝕んでいるかを理解した。彼は杖をついて歩き、体には震えがあった。 この絵は1882年のサロンに出品され、マネの最後の重要な作品となり、アーネスト・チェスノー氏(フランス美術評論家)の「鋭い批評賞」を受賞した。 P34~P35。 向かって左から、「ビールを飲む女性たち」、「ウェートレス」、「フォリーベルジェールのバー」、 「フォリーベルジェールのバーメイドのモデル」、「イザベル ルモニエ」。 ↑ サンラザール駅/鉄道。 P92~93。 ↑ この絵も大好きな作品。 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。ものすごく魅力的に思える。 ムーランはモデルをしながら、自分でも絵を描くようになった。 ↑ 草上の昼食。 P60~61。 ↑ 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。 ↑ オランビア。 P62~63。 ↑ 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。 ↑ オランビア(水彩画)。 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。 P16。 ↑ 闘牛士の服を着たビクトリーヌ。 女性はモデルのビクトリーヌ・ムーラン。 P15。 ↑ ビクトリーヌ・ムーランの肖像。 P58~59。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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