2981397 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

星とカワセミ好きのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2020.04.11
XML
カテゴリ:美術 / Art
2019年3月2日、妻と一緒に上野公園の国立科学博物館に行き、「日本を変えた千の技術博」を見ました。明治時代から現代にかけて、生活を豊かにする技術の進化が分かるように展示されていました。
妻とは興味分野が違うので、博物館では別行動をしました。

多くの分野が紹介されており、駆け足で見ても半日はかかりましたが、大変面白かったです。
一部を紹介します。

まずは、電話、カメラ、録音録画機材です。


↑ 日本を変えた千の技術博。


↑ 上野公園の国立科学博物館。


↑ 日本を変えた千の技術博(特別展)。2018年10月30日~2019年3月3日。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【電話】


↑ 3号自動式卓上電話機(黒色)、1933(昭和8)年登場。
アメリカ製の電話機のデザインに学び、自動式のためのダイヤルを中央に配置し、コンパクトなスタイルとなり、以降の電話機のスタイルの原型となった。

↑ 4号自動式卓上電話機(緑色)、1952(昭和27)年登場。
日本人の顔の特徴を設計に生かすなど、デザイン、設計とも日本の技術で設計され1950年に制式化された。伝送特徴も格段に向上され、聞きやすくなり、保守すれば現代の回線でも使用可能である。


↑ 電話ボックス用公衆電話(黄色)、100円が使える角型の公衆電話。1972(昭和47)年登場。

↑ 5号自動式公衆電話(赤電話)1955(昭和30)年。
1900(明治33)年、新橋駅と上野駅に最初に公衆電話が設置された。一般の電話と区別しやすいよう、1953(昭和28)年から赤電話となった。


↑ ダイヤル式電話と写真を撮ろう。


↑ 600形自動式卓上電話機。 日本電信電話公社 制式、1963(昭和38)年登場。
当初は黒色のみだったため通称黒電話と呼ばれていた。4号に比べさらに性能の向上が図られ、通話性能と耐久性が非常に高く、登場から50年以上経った現在でも、電話として使用可能である。



↑ どこでも誰とでも電波でつながる。


↑ ポケットベルB型RC11、1968(昭和43)年。
ポケベル用語集:「0840:おはよう」、「14106:あいしてる」、「3470:さよなら」、「33414:さみしいよ」、「0906:おくれる」、「88951:はやくこい」。

ポケットベルとは、小型の無線呼出装置のことで、当初は着信があるとベルが鳴るだけの装置だった。その後、送信者の電話番号や10文字程度の数字列を送ることができるようになった。
1968(昭和43)年サービス開始、1996(平成8)年ピーク時には1077万件以上の加入があったが、PHSや携帯電話の普及により加入者が減り、2007(平成19)年に全国的な商用サービスは中止された。



↑ 自動車電話 TZ803A 、1988(昭和63)年。



↑ ショルダーホン100型、1985(昭和60)年。
大阪万博から15年ほどして、持ち歩くことのできる電話が登場した。しかし、まだ自動車電話と兼用になっていた。


↑ 人工衛星に搭載できるほど小型化した電子管。
テレビ中継や通信に欠かせない高周波の信号を増幅。


↑ マイクロ波4GHz帯用進行波管 4W75A/日本電気製,1955(昭和30)年。
1951年に日本電信電話公社電気通信研究所の関壮夫らが発明したPPM技術は、進行波管を大幅に小型・軽量化し、人工衛星搭載への道を開いた。


↑ ワイヤレステレホン、1970(昭和45)年。
1970年に開催された日本万国博覧会(大阪)の電気通信館で公開されたコードレス電話。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【カメラ】


↑ 光で視る。


↑ ニコンF NIKKOR-S Auto 5cm f/2 /日本工学工業製/1959年(昭和34)年。
ニコン初の交換式一眼レフカメラで、世界中の報道カメラマンに愛用されるきっかけとなった機種。1964(昭和39)年東京オリンピックのシンボルマークの製作者として有名な亀倉雄策がデザインを担当。


↑ ニコンF3 NASA Big /日本工学工業製/1980(昭和55)年。
NASA(アメリカ航空宇宙局)の依頼で、スペースシャトル搭載用に開発されたモデル。まだ開発中だった「ニコンF3」をベースに考案され、長尺フィルム用のマガジンを装備して、250枚の写真が撮影できる。


↑ アニターレンズ 12cm f/4.5 /日本工学工業製/1929(昭和4)年。


↑ 「工学系計算ニ就テ」アハト氏述 レプリカ/1924(大正13)年。
1917(大正6)年に誕生した日本工学工業は、1921(大正10)年にドイツから光学技術者を8名招聘し、技術の吸収に努めた。8人の中の一人、ハインリッヒ・アハトらが設計した光学レンズと、その時の口述録。



↑ CF方式光学系研究用生物顕微鏡「バイオフォト」/日本光学工業/1976(昭和51)年。
世界で初めてCF方式を採用した顕微鏡。対物レンズ及び接続レンズの色収差をそれぞれ単独に補正するもので、画期的な技術革新として、顕微鏡の性能が飛躍的に向上した。


↑ コクピットカメラXC-1/ソニー/1980(昭和55)年。
CCDをイメージセンサーとして用いた世界初の実用CCDカラービデオカメラ。初搭載はジャンボ機であった。CCDとはCharge-Coupled Device (電化結合素子)のことで、1969年にアメリカベル研究所で発明された個体映像素子である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【録音・録画】


↑ 録音・録画が文化を伝える。


↑ SONI-TAPE/東京通信工業製/1950(昭和25)年発売開始。
初期のテープレコーダー用の磁気テープ製品。


↑ 日本最初期の肩掛型テープ録音機PT1(M-1)型/東京通信工業製/1951(昭和26)年製。
放送局で愛用された肩掛式のテープレコーダー、デンスケの愛称の始まり。


↑ テープレコーダーG型/東京通信工業製レプリカ/1950(昭和25)年。
創業から数年して東京通信工業(現・ソニー)が本格的に民生用の分野に進出するきっかけとなった製品。


↑ トランジスタラジオTR55/東京通信工業製レプリカ/1955(昭和30)年。
トランジスタラジオの出現は、一家に一台だったラジオを、いつでもどこでも自由に持ち運べ、個人で番組を楽しむことができるように変え、人々のライフスタイルを変えた。


↑ 「ウォークマン」1号機 TPS-L2/ソニー製/1979(昭和54)年。
世界初の携帯型ステレオカセットプレーヤー。
音楽を個人で、どこでも楽しむことが可能となり、リスニングの形態を変え、一つの文化を生み出した。


↑ PCMオーディオプロセッサー/ソニー製/1977(昭和52)年。



↑ CDプレーヤー CDP-101/ソニー製/1982(昭和57)年。
世界初のコンパクトディスクプレーヤー。世界初のCDプレーヤーは、ソニー、日立製作所、日本コロンビアから同時発表された。


↑ 東京通信工業(現・ソニー)御殿山(ごてんやま)工場 1947(昭和22)年。
(左)工場内 (右)盛田昭夫(もりたあきお)、井深大(いぶかまさる)、岩間和夫(いわまかずお)、樋口晃(ひぐちあきら)(右から)。
東京通信工業は1946(昭和21)年に東京日本橋の白木屋内に設立された。1947(昭和22)年に工場を品川区に移転し、1949(昭和24)年に新工場を建設した。最先端の技術を生み出す大企業も、その始まりは町工場だった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020.04.27 05:20:38
コメント(0) | コメントを書く


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

カテゴリ

バックナンバー


© Rakuten Group, Inc.
X