カテゴリ:歌謡曲/映画/テレビ
作詞家の阿久悠(あくゆう)さんは、2007年8月1日に70歳で亡くなられました。
1937年に兵庫県淡路島で生まれ、明治大学文学部を卒業後、広告代理店に勤務され、1964年にフリー活動に入ります。作詞家として約5,000曲を作られました。 私の本棚にある阿久悠さんの本ですが、読むと昭和の雰囲気や流行した歌謡曲の事が良く分かります。 阿久悠さんは作詞家の小林亜星さんと交流があります。阿久悠さんの本に「ピンポンパン体操」の記載部分があり、とても印象に残ったので紹介します。 大ヒットとなる曲は、小児用に作った歌であっても、そのターゲットを越えて、どの分野でもその曲が流れるくらいの力があるという話です。 1)「夢を食った男たち 『スター誕生』と黄金の70年代/阿久悠/道草文庫/小池書院」 P298~302。 「1971年の秋、ぼくは、フジテレビから依頼されて、幼児番組用に『ピンポンパン体操』を作詞した。CM界の才人とか、巨匠といわれた小林亜星との初仕事である。 レナウンの『イエイエ娘』や、サントリー・オールドのCMソングやら、才気あふれる作曲していた小林亜星とは、機会があれば仕事をしたいと思っていたが、まさか、幼児用の体操の歌で組むことになろうとは、思ってもいなかった。 ついでに言うと、小林亜星とは、その後、『北の宿から』でレコード大賞を獲ったり、隠れたファンのいる『昭和放浪記』を書いたり、西武ライオンズの球団歌の『地平を駆ける獅子を見た』など数々のコンビを組む」 「幼児番組に体操が付き物というのが当時の常識で、しかも、その分野ではNHKが圧倒的に強く、『おかあさんといっしょ』の中の、『小さく 小さく 小さくなあれ 小さくなって アリさんになあれ』という体操の歌が流行っていた。 フジテレビの依頼は、何とか、その、アリさんになあれを越える面白い歌を、という注文であった。 ぼくは、この仕事を面白がって、玩具箱をひっくり返したような詞を書き、小林亜星が普通の歌5曲分ほどのメロディを必要とする曲を付け、金森勢と杉並児童合唱団の歌で発表した」 「1971年のクリスマスに発売したレコードは、クリスマス・プレゼントになったのか、お年玉になったのか知らないが、たちまち百万枚を突破、結果は三百万枚近くにもなる猛烈なヒットになり、番組からも大いに感謝された」 「ところが、発売から2カ月過ぎるか過ぎないかという頃から、この体操が、お色気を看板にしたキャバレーや、アルバイト・サロン、ピンク・サロンといったところで、盛んに歌われるようになったのである。 半裸の女性が、『トラのプロレスラーは シマシマ・パンツ』とか、『カバの忍者は、マヌケで困る』とかやり始めた。むしろ、世の中に噴出したのはそれから、といっていい。 幼児番組とキャバレー。ターゲットなどという言葉を無意味にする」 P301~302には、小林亜星さんが阿久悠さんを誘って京都旅行に行った時の話が書いてあります。 2人は京都で有名なストリップ劇場に入ったのですが、ストリップでボリュームいっぱいに流れていた歌が、ほとんど山本リンダの「どうにも止まらない」、「狂わせたいの」、「じんじんさせて」、「狙いうち」で、行き来する頭上のゴンドラに、裸の踊り子が寝そべり、それを見上げていたそうです。その時の小林亜星さんの話がありました。 「(ゴンドラを)何とも間の抜けた顔で見上げる。すると、ふと大きなため息が横でして、『こういうところで、ガンガンと(曲が)かからなきゃ、ヒット曲とは言えないんだな』と、妙に感じ入ったように、小林亜星が呟いたのである」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私が持っている阿久悠さんの本。 ↑ 表紙を見て、違う本かと思って買ったが、中身が同じだった。 ↑ 「夢を食った男たち 『スター誕生』と黄金の70年代/阿久悠/道草文庫/小池書院」 ↑ 「夢を食った男たち 『スター誕生』と黄金の70年代/阿久悠/文春文庫」 ↑ 「愛すべき名歌たち -私的歌謡曲史ー/阿久悠/岩波新書」 P164~166に、「昭和46年(1971年)ピンポンパン体操」として、小林亜星さんとピンポンパン体操の事が書かれている。 ↑ 「書き下ろし歌謡曲/阿久悠/岩波新書」 ↑ 「歌謡曲の時代 歌もよう人もよう/阿久悠/新潮文庫」 ↑ 「昭和おもちゃ箱/阿久悠/光文社」 ↑ 「日記力『日記』を書く生活のすすめ/阿久悠/講談社+α新書」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.07.18 10:44:16
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