カテゴリ:河合奈保子さん
前回の続きですが、テレサ・テンさんと河合奈保子さんがミュージックフェアで共演しています。
テレサ・テンさんは「アジアの歌姫」と言われ、台湾、香港、中国、日本、東南アジアで大変な人気を博しました。 私はテレサ・テンさんの人生について、次の本を読んで概略を知りました。 1)「テレサ・テンが見た夢/平野久美子/ちくま文庫」 2)「純情歌姫 テレサ・テン 最後の八年間/鈴木章代/角川書店」 テレサ・テンさんの経歴はとても複雑なのですが、「純情歌姫 テレサ・テン 最後の八年間/鈴木章代/角川書店」のテレサ・テンさんの紹介欄が分かりやすいので、そのまま記載させていただきます。 「テレサ・テン : 1953年1月29日台湾生まれ。中国語の芸名は鄧麗君。十四歳で歌手デビュー。東南アジア、香港と活動の場を広げ、1970年代から1980年代前半に活躍、”アジアの歌姫”となる。1974年日本デビュー。二枚目のシングル『空港』で日本レコード大賞新人賞を獲得したが、五年後の1979年偽造パスポート事件で日本での活動を一時休止し、アメリカに渡る。この間、中国本土で『何日君再来』が大流行するが、中国政府の”精神汚染”批判運動により、彼女の曲が禁止処分となる。 日本では1983年に活動を再開、1984年に『つぐない』、1985年に『愛人』、1986年に『時の流れに身をまかせ』で日本有線大賞、全日本有線放送大賞ともに史上初となる三年連続グランプリを受賞した。中国の民主化運動に積極的に参加するも、1989年の天安門事件以降、自由に憧れパリに移住。1995年5月8日、休養先のタイ・チェンマイで喘息発作を起こし、急逝。享年四十二」 「テレサ・テンが見た夢/平野久美子/ちくま文庫」のp377~380には、参考文献のリストなどがあります。またp381~395は「鄧麗君年表」があり、参考になります。 同本p98で、テレサ・テンさんが「空港」で1974年度レコード大賞新人賞を獲得したが、日本語の日常会話にも不自由していたのに、なぜ日本人の心をつかむような歌い方ができたのかという点につき、次の記載があります。 「当時のレコード会社のスタッフが証言するには、『歌詞の内容を自分のものとして理解する努力がすごかった』そうだ。曲をわたすときは通訳がその内容をじっくりと説明する。それをしっかり吸収するかのように注意深く聴き、日本語の持つニュアンスがわからないときは、スタッフに何度も聞き返す。歌詞にローマ字のふりがなをつけて発音を学ぶ。こうして歌の世界を自分のものにしてからでないと、決してレコーディングに進まなかった」 テレサ・テンさんと河合奈保子さんですが、お二人とも、香港の俳優ジャッキー・チェンさんと接点があります。 テレサ・テンさんは1979年2月に日本での入国トラブルがあり、アメリカへ行きます。同本p110には、テレサ・テンさんとジャッキー・チェンさんがロサンゼルスで初めて会ったことが書いてあります。ジャッキーさんが映画の撮影のために滞在していたホテルが、テレサさんのアパートに近かったので、ジャッキーさんの方から積極的にデートを申し込んできたとあります。 河合奈保子さんはジャッキー・チェンさんと「愛のセレナーデ」というデュエット曲を1988年8月に発売しています。河合奈保子さんのシングルコレクション「JEWEL BOX」には、次のように「愛のセレナーデ」の紹介があります。 「ジャッキー・チェンとのデュエット曲。歌手として参加した他のデュエット曲と異なり、奈保子が曲作りから参加しているということで、今回のシングルBOXに収録されることとなった。ジャッキーとデュエットされたこの2曲は、1988年5月のフジテレビ系「夜のヒットスタジオ」で奈保子がマンスリー・アーティストを担当した時に披露され、問い合わせが殺到した。香港でもチャートのTOP10入りするほどの人気曲となり、これがきっかけで現地での奈保子ファンも増え、今回のBOXアンケートにも何通かの回答が見られた。オリコン最高位24位。 尚、ワーナー・パイオニアからは同曲の広東語デュエットバージョンが同時発売された」 「純情歌姫 テレサ・テン 最後の八年間/鈴木章代/角川書店」ですが、テレサ・テンさんが契約していた「トーラスレコード」の社員だった鈴木章代さんが、1987年から1995年までの8年間、テレサ・テンさんの専属担当になった時の出来事が書いてあります。テレサ・テンさんは鈴木さんに心を許し、自分の「妹」として接したそうです。 他人には絶対見せる事のないテレサ・テンさんの素顔と心の動きが本の中に記載されており、驚きの連続でした。 同本P61~67で、鈴木さんがテレサさんに日本の「修学旅行」の説明をした事が書かれています。日本ではクラスメイトが旅行し、夜は旅館でみんなで騒ぎ、誰かを簀巻き(すまき)にしたり、枕投げをしたりするのが楽しいと鈴木さんが話すと、テレサさんがぜひ体験したいというので、ホテルの部屋の中で、鈴木さんがテレサさんを布団で巻くと、テレサさんはきゃあきゃあとはしゃぎました。それからお互いに夢中になりながら、枕投げをしたことが書いてあります。 テレサさんは「テレサ、修学旅行をしました。ドリフのコントみたいだったですね」と言ったそうです。 この本の最後の部分は、読むのが辛かったです。(P217~235) 1994年10月に、テレサさんが鈴木さんに、新曲を作ってほしいとお願いしました。鈴木さんは社内で上に提案しますが、中々話が進みません。1995年2月にテレサさんはしびれを切らし、「もういいです」と電話を切って音信不通になりました。鈴木さんはその後も新曲作りに奔走し、4月に三木たかし先生が作曲し、そのメロディラインにあわせて荒木とよひさ先生の作詞が5月7日に完成しました。新曲は「泣かないで」でした。 ところが、新曲ができた翌日(1995年5月8日)に、テレサさんがタイのチェンマイで、気管支ぜんそくの発作で死去しました。享年42歳でした。 テレサ・テンさんのための新曲「泣かないで」は、その後「忘れないで」という曲名になり、アグネス・チャンさんと北原ミレイさんが歌っています。聴きやすくてとても良い歌です。 ーーーーーーーーーーーーーー テレサ・テンさんと河合奈保子さん(ミュージックフェア 1986年) ↑ 河合奈保子さんとテレサ・テンさん。 ↑ 河合奈保子さん。 ↑ テレサ・テンさん。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ↓「テレサ・テンが見た夢/平野久美子/ちくま文庫」 ↓「純情歌姫 テレサ・テン 最後の八年間/鈴木章代/角川書店」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ↓ 河合奈保子さん JEWEL BOX NAOKO SINGLES COLLECTION. ↑ 歌詞と解説書。 ↑ 河合奈保子さんとジャッキー・チェンさん。 ↑ 「愛のセレナーデ」河合奈保子さんとジャッキー・チェンさん。 ↑A面「愛のセレナーデ」 作詞:潘偉源、日本語詞:吉元由美、作曲:河合奈保子、編曲:矢野立美 B面「Southern Cruise」 作詞:潘偉源、日本語詞:吉元由美、作曲:河合奈保子、編曲:矢野立美 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.08.15 06:54:06
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