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2022.02.27
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カテゴリ:美術 / Art
2022年2月23日、東京国立博物館で「ポンペイ展」を見ました。
紀元79年、イタリア・ポンペイは、ヴェスヴィオ火山の噴火により、火山灰に埋もれました。

18世紀から発掘調査がされており、「ポンペイ展」で、発掘品や灰の中から出てきた当時の町の姿が紹介されていました。

私はオランダに住んでいた時、何度かイタリアに遊びに行きました。
1992年12月26日にポンペイの遺跡を見たのですが、イタリア人の女性ガイドから英語で説明を受けました。
ポンペイの街を発掘作業中、灰の地層に電波を当てて、空洞が見つかれば石膏を流して空洞を固めるそうです。それを掘り出すと、人の形の石膏が出てきます。ヴェスヴィオ火山の噴火で灰が街の人々を覆い、高熱で人の体が融けて気化し、人の形をした空洞が残っている話を聞き、ビックリしました。



↑ 2022年2月23日、東京国立博物館・平成館で「ポンペイ展」を見た。


↑ 平成館の正面玄関。











↑ イタリア・ナポリの近くにポンペイがある。


↑ ナポリ、ヴェスヴィオ火山、ポンペイの位置。


↑ ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没
およそ2000年前、ヴェスヴィオ山を望む風光明美な景観の中、ローマ帝国の植民市ポンペイが繁栄していた。周辺では果樹栽培が盛んで、ポンペイのワインやオリーブ油は有名だった。79年のある朝、ヴェスヴィオ山の噴火が始まった。ポンペイには火山灰と軽石が降り続け、その重みで次第に家々の屋根が落ち、街に残っていた人々は、そこに閉じ込められてしまう。翌朝には高温の火砕サージと陽砕流が到達。街は死に絶え、埋没した。
噴火の日付には諸説があるが、2018年に見つかった落書きの内容がヒントとなり、現在では、10月24日とする説が支持を集めている。




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↑ 紀元79年、ヴェスヴィオ火山の噴火。


















↑ 火山灰や煙が街を覆う。


↑ 発掘されたポンペイの街。









↑ ポンペイの街とヴェスヴィオ山。

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↑ 女性犠牲者の石膏像。ポンペイ出土 79年/1875年(ナポリ国立考古学博物館蔵)















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最終更新日  2022.03.06 09:32:17
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