カテゴリ:国内旅行 (東海・北陸)
2023年6月17日、名古屋駅近くのモーニング喫茶「リヨン」で朝食を頂いた後、私、長男、長男の友人3人で、名古屋城まで歩きました。
途中で円頓寺商店街、四間道、愛知県図書館、NHK放送記念碑を見たので、写真を残します。 ↓ 堀川。 ↓ 名古屋城が描かれていた。 ↓ 四間道ご案内。 四間道は元禄13年の大火の後、防火の目的や商業活動の為、道幅を4間(約7メートル)に広げたことによりその名がついたといわれています。 四間道を挟んで東側には石垣の上に連続する土蔵、西側には町家が立ち並ぶこの独特な景観は元文年間(1740年頃)に形成されました。名古屋市の街並み保存地区に指定されています。 ↓ 円頓寺商店街。 ↓ 初代尾張藩主の側室「貞松院」下屋敷跡 貞松院(1608~84)は朝廷の東福門院(後水尾天皇の中宮で、将軍秀忠の娘)に仕え、天下一の美貌の女官で「おさゐの方」と言われました。初代藩主義直と正室「春姫」に子がなかったため、幕命で寛永元年(1624)に17歳で京都より二の丸に入輿、側室となって寛永3年に鶴姫を生みました。江戸時代初期の「万治年間之名古屋図」(1658~60)に四間道と円頓寺通りと御本坊筋に囲まれた旧沢井町北部に「貞松院様御屋敷」、名古屋城の二の丸東にも「貞松院様」と記されています。寛永14年(1637年)に江戸で「春姫」が逝去後、寛永16年に江戸へ移住し「奥様」と呼ばれ、慶安3年(1650)義直の逝去まで江戸で暮らしました。その後貞松院と称し、名古屋に戻って名古屋城二の丸に住み、鶴姫が広幅大納言忠幸卿と結婚後、三の丸北東隅の屋敷に移りました。逝去後ほどなく下屋敷跡近くに「雲門寺」が建てられました。御廟所は中区の政秀寺です。 ↓ 豊臣秀吉像。 ↓ 長久山円頓寺。 ↓ 金毘羅神社。 ↓ 愛知県図書館。 ↓ 愛知県図書館。 ↓ 名古屋城が見えた。 ↓NHK 放送記念碑。 ↓ 放送記念碑 ここは、中部地方におけるラジオ放送ならびにテレビジョン放送発祥の地である。 放送開始40周年を記念し、幾多先人の情熱をしのびつつ、有志の協賛をえてこの碑を建てる。 昭和40(1965)年11月3日 NHK名古屋放送局 発祥とその略歴 大正13(1924)年2月1日 神野金之助が発起人となり、名古屋無線放送株式会社の設立を出願。これは、我が国における放送事業出願の第1号であった。 大正14(1925)年1月10日 上記を社団法人名古屋放送局と改称、放送許可。 大正14(1925)年7月15日 ラジオ放送開始 大正14(1925)年8月6日 名古屋放送局と東京、大阪の両放送局が合同して社団法人日本放送協会を設立。これがNHKの母体となった。 昭和29(1954)年3月1日 テレビジョン放送開始。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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