カテゴリ:城
2018年2月10日朝、佐賀県・呼子町から歩いて名護屋大橋を越え、名護屋城址にある佐賀県立名護屋城博物館に行きました。
「呼子観光マップ」と、肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会の「陣屋めぐりマップ」により、歩いたルートを紹介します。 佐賀県立名護屋城博物館で購入した資料『「肥前名護屋城図屏風」の世界』を見ると、群馬県個人所蔵本の屏風には、「船橋・制札場」として、入江(名護屋浦)に船22隻が並べられ、その上に橋が置いてあり、海を渡れるようになっています。 屏風図の位置を見ると、船橋があった場所は、今の「名護屋大橋」がある場所ではないかと思います。 ↓ 呼子観光マップ。 呼子から名護屋城博物館まで、雨の中を歩いた。(青い線のルート) ↓ 名護屋大橋の位置。 当時はこの橋の所に、船橋が掛けられていたと思う。 途中に伊達政宗陣跡、黒田長政陣跡の表記がある。 ーーーーーーーーーーー ↓ 肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会の「陣屋めぐりマップ」。 大名の陣の場所が分かる。 赤い点線は、名護屋城までのルート。 ↓ 名護屋城 陣跡めぐりマップ。 ーーーーーーーーーーーーーーーー ↓ 呼子から名護屋城跡まで、雨の中を歩いた。 ↓ 伊達政宗陣跡の標柱。 ↓ 名護屋大橋。 城があった時は、この下に船橋があったのではないかと思う。 佐賀県立名護屋城博物館で購入した資料『「肥前名護屋城図屏風」の世界』を見ると、群馬県個人所蔵本の屏風には、「船橋・制札場」として、入江(名護屋浦)に船22隻が並べられ、その上に橋が置いてあり、海を渡れるようになっている。 屏風図の位置を見ると、船橋があった場所は、今の「名護屋大橋」がある場所ではないかと思う。 ↓ 名護屋大橋から北側を臨む。 ↓ 寺沢広高の陣屋敷があった場所。 ↓ 奥は徳川家康の陣屋敷があった場所。 ↓ 正面は加部島。 ↓ 正面は加部島。 名護屋大橋から見た名護屋浦。 ↓ 加部島の天童岳。 ↓ 加部島に掛かる呼子大橋。 ↓ 呼子大橋の手前部分は、加藤嘉明の陣屋敷があった場所。 ↓ 加藤嘉明の陣屋敷があった場所。 ↓ 徳川家康の別陣があった場所。 ↓ 伊達政宗の陣屋敷があった場所。 ーーーーーーーーーーーーーー ↓ 名護屋大橋から南側を臨む。 左は黒田長政の陣屋敷、左と中央は真田真幸の陣屋敷があった場所。 中央の奥の方は、結城秀康や石田三成の陣屋敷があった。 ↓ 名護屋大橋を渡った。 ↓ 道の駅 桃山天下市。 ↓ 名護屋城址に着く。 ↓ 名護屋城博物館に進む。 ↓ 大手口前井戸。 ↓ 名護屋城跡周辺案内図。 ↓ 名護屋城博物館。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.21 04:52:56
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