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2023.10.03
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2018年2月10日朝、佐賀県・呼子町から歩いて名護屋大橋を越え、名護屋城址にある佐賀県立名護屋城博物館に行きました。

「呼子観光マップ」と、肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会の「陣屋めぐりマップ」により、歩いたルートを紹介します。

佐賀県立名護屋城博物館で購入した資料『「肥前名護屋城図屏風」の世界』を見ると、群馬県個人所蔵本の屏風には、「船橋・制札場」として、入江(名護屋浦)に船22隻が並べられ、その上に橋が置いてあり、海を渡れるようになっています。
屏風図の位置を見ると、船橋があった場所は、今の「名護屋大橋」がある場所ではないかと思います。


↓ 呼子観光マップ。 呼子から名護屋城博物館まで、雨の中を歩いた。(青い線のルート)



↓ 名護屋大橋の位置。 当時はこの橋の所に、船橋が掛けられていたと思う。
途中に伊達政宗陣跡、黒田長政陣跡の表記がある。



ーーーーーーーーーーー
↓ 肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会の「陣屋めぐりマップ」。
大名の陣の場所が分かる。 赤い点線は、名護屋城までのルート。





↓ 名護屋城 陣跡めぐりマップ。


ーーーーーーーーーーーーーーーー
↓ 呼子から名護屋城跡まで、雨の中を歩いた。
















↓ 伊達政宗陣跡の標柱。





↓ 名護屋大橋。 城があった時は、この下に船橋があったのではないかと思う。


佐賀県立名護屋城博物館で購入した資料『「肥前名護屋城図屏風」の世界』を見ると、群馬県個人所蔵本の屏風には、「船橋・制札場」として、入江(名護屋浦)に船22隻が並べられ、その上に橋が置いてあり、海を渡れるようになっている。
屏風図の位置を見ると、船橋があった場所は、今の「名護屋大橋」がある場所ではないかと思う。








↓ 名護屋大橋から北側を臨む。


↓ 寺沢広高の陣屋敷があった場所。


↓ 奥は徳川家康の陣屋敷があった場所。


↓ 正面は加部島。


↓ 正面は加部島。 名護屋大橋から見た名護屋浦。


↓ 加部島の天童岳。


↓ 加部島に掛かる呼子大橋。


↓ 呼子大橋の手前部分は、加藤嘉明の陣屋敷があった場所。





↓ 加藤嘉明の陣屋敷があった場所。


↓ 徳川家康の別陣があった場所。


↓ 伊達政宗の陣屋敷があった場所。



ーーーーーーーーーーーーーー

↓ 名護屋大橋から南側を臨む。
左は黒田長政の陣屋敷、左と中央は真田真幸の陣屋敷があった場所。
中央の奥の方は、結城秀康や石田三成の陣屋敷があった。



↓ 名護屋大橋を渡った。




↓ 道の駅 桃山天下市。






↓ 名護屋城址に着く。


↓ 名護屋城博物館に進む。




↓ 大手口前井戸。







↓ 名護屋城跡周辺案内図。


↓ 名護屋城博物館。





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最終更新日  2023.10.21 04:52:56
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