カテゴリ:城
2018年2月10日、肥前名護屋城址を見学しました。
佐賀県立名護屋城博物館を見た後、東出丸、三ノ丸を進み、本丸に上がりました。 本丸中央には、東郷平八郎が「名護屋城址」と揮毫(きごう)された石碑があります。 天守台跡もあります。「肥前名護屋城図屏風」(佐賀県重要文化財)には5層7階建て(地上6階、地下1階)の豪壮な建物が描かれており、その高さは石垣から約25~30mであったと推定されています。 ーーーーーーーーーーー ↓ 名護屋城博物館から観光案内所を通った所。 ↓ 旗竿石(はたざおいし)の説明 (寄贈者:松前佐喜子・袈裟丸ひろ子・袈裟丸代美) この石は、文禄・慶長の役に際して名護屋城周辺に滞在した諸大名の陣屋に、軍旗や馬印などを立てるために、玄武岩質の自然石でつくられた「旗竿石」と呼ばれるものです。 昭和15年(1940年)頃、名護屋村から唐津市坊主町の民家に移設され、再び、鎮西町名護屋の地にもどされたものです。中央に直径26.5cm、深さ12cmの円形の穴が穿ってあります。 ↓ 旗竿石。 ↓ 名護屋城址。 ↓ 東出丸の案内。 東方に張り出した長方形の曲輪(くるわ)で、千人枡(せんにんます)とも呼ばれています。大手口・三ノ丸警護のための侍詰所(さむらいつめしょ)があったと推定されます。 ↓ 東出丸。 ↓ 三ノ丸に進む。 ↓ 三ノ丸の案内。 三ノ丸は、本丸より一段低いところに位置する東西34間(68m)、南北62間(124m)の曲輪(くるわ)です。 ↓ 三ノ丸。 ↓ 三ノ丸。 ↓ 本丸大手門に進む。 * 【本丸大手門】 三ノ丸から本丸への入り口に、二層の豪壮な門が築かれていた。後に仙台(青葉)城主伊達政宗が城の大手門に移したという。国宝であったが、惜しくも第二次世界大戦(昭和20年:1945年)の空襲で焼失した。 (肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会の肥前名護屋城パンフレットより) ↓ 名護屋城址本丸。 本丸中央には、東郷平八郎が「名護屋城址」と揮毫(きごう)された石碑がある。 ↓ 東郷平八郎の揮毫「名護屋城址」。 ↓ 天守台跡。 ここは名護屋城のシンボルである天守(閣)が建てられていた天守台です。「肥前名護屋城図屏風」(佐賀県重要文化財)には5層7階建て(地上6階、地下1階)の豪壮な建物が描かれており、その高さは石垣から約25~30mであったと推定されています。 ↓ 天守台跡。 ーーーーー ↓ 有田焼でつくられた諸大名の陣の場所案内。 (案内板と写真を対比させた) ーーーーー ーーー ーーーー ーーーーー ーーーーー ↓ 呼子大橋。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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