カテゴリ:本、雑誌、記録
俳優で司会者の児玉清さんは、2011年5月に77歳で亡くなられました。
「パネルクイズアタック25」で長く司会をされていて、とても人気のある方でした。 英語の原書を沢山読まれており、「寝ても覚めても本の虫/児玉清/新潮文庫/新潮社」を読むと、その読書量と本への愛のすごさに驚かされます。 英語の本を読んでいくにあたり、参考になることが多く書いてあります。 同本の印象的な部分を、一部紹介します。 「寝ても覚めても本の虫/児玉清/新潮文庫/新潮社」 (p354) 結婚して3年、まだ売れっ子とはいえず、東宝の専属俳優を辞めてフリーになったばかりの僕は、漸く勃興してきたテレビ界からの単発ドラマの出演依頼を受けてなんとか生活を支えていたときだった。この本の金額はほぼ3か月分のわが家の家計費に相当すうもので、月賦だからと説明しても彼女の顔は曇ったままであった。 「事前に相談もしてくれないで」とさらに言葉を継ごうとする家内に向って、僕は思わず口を滑らした。「こういう本は女房を質に入れても買うべき本なのだ」と。僕の言葉を聞いた瞬間の家内の表情は今でも脳裏にこびりついている。 「ああ、そうなの」という何とも複雑な乾いた表情で、これは「やばい!!」と思った僕は、「今のはたとえばの冗談」と慌てて取り繕ったのだが、その言葉は完全に無視され、彼女は拍子抜けするくらい靜かに部屋を出ていった。 (p355~356) 一般的に考えてみれば、僕の本への愛着は並外れているといえるのだろう。世間には一度読んでしまった本はもうどうでもよくて、他人に只(ただ)であげるか、棄ててしまうという人がいるようだけれど、僕には到底理解できない。生来、あまり物欲がなくて、着るものにしろ、身につけるものにしろ、とにかく取り敢えずあればいいという方の僕なのだが、こと本の話となると自分でもおかしいと思うぐらいの執着心が湧く。読むことも大好きだが、本そのものが大好きなのだ。だから本を買ったときの喜びは格別なものがあり、特に欲しかった本を手に入れたときなどは何度も手にとっては、矯(た)めつ眇(すが)めつ手すると、その本に触りを愉しむことになる。 僕にとって最高の幸せは、書斎で本棚にぎっしりと詰まった本を眺めることなのだ。周囲を見回すと、書架にはいろいろな思い出の詰った本が背表紙を光らせて並んでいる。気の向くままに一冊ずつ取り出しては、表紙をやさしく撫で、裏表紙を確かめる。そしておもむろに頁(ページ)をめくってみる。すると、その本にまつわる思い出がどっと蘇ってくる。だから本を棄てたり売ってしまったりすることなど、僕にはとうてい考えられないことなのだ。 (p362~363) ところで、僕が最初に手にした原書は、D・フランシスの『TWICE SHY』(邦題「配当」ハヤカワ・みミステリ文庫)だった。記念すべき一冊ということで、今でも本棚の一番目立つところに置いてある。この本を皮切りとして、好きな外国作家の作品はすべて、新刊のハードカバーで読むことを心掛けている。 「原書で読んでいる」などというと面映(おもは)ゆいが、僕の英語力がどれほどのものなのかとなると、これはもう甚だ心許なくて、もし正規の試験を受けたりしたら、恐らくひどい成績になると思う。しかし、原書を読むのにさほど支障がなく、面白く読んでいるのだから、これはこれでいいと思っている。 外国語は、格好なよくなくても最終的に通じ合えばそれでいいのだ、というのが僕の基本的姿勢である。振り返ってみれば、これまで根を詰めて勉強したという意識は僕にはまったくなくて、何冊も何冊も原書を読んでいるうちに、いつの間には次第に直観のようなものが研ぎ澄まされてきたというのが実感だ。 ーーーーーーーーーーーー 「寝ても覚めても本の虫/児玉清/新潮文庫/新潮社」 ーーーーーーーーーーーー (目次) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.13 06:18:21
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