カテゴリ:国内旅行(九州)
長崎みなとメディカルセンター近くを歩いていると、ティラノサウルス・レックス像がありました。
プレートには、次の記載があります。 「ティラノサウルス科の一種。 8100万年前の白亜紀後期の長崎市にいた肉食恐竜で、獣脚類(じゅうきゃくるい)と呼ばれるグループに属します。 強力な顎と折れにくい歯を持っており、獲物を骨ごと食べることができたと考えられています。 2014年に長崎市で発見された2本の歯の化石は、全長10mを越える大型種のものと考えられており、国内で初めての発見となりました。この発見により、日本にもティラノサウルス・レックスに近い種類の大型肉食竜が生息していたことがわかりました。」 長崎市恐竜博物館は、その像から23㎞先にあるそうです。 ーーーーーーーーーーーーー 我が国鉄道発祥の地跡もありました。 「慶応元年(1865)、英国人貿易商トーマス・グラバーが、ここから松ヶ枝橋の方向にレールを敷いて、英国製の蒸気機関車アイアン・デューク号(鉄の侯爵)を走らせました。集まった人々は驚きの喚声を上げて見物しました。この運転は営業を目的としたものではありませんでしたが、蒸気機関車の運行としては日本で最初のものでした。この試走は日本近代化の先駆けとなりました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ↓ 長崎のティラノサウルス・レックス像。 ↓「ティラノサウルス科の一種。 8100万年前の白亜紀後期の長崎市にいた肉食恐竜で、獣脚類(じゅうきゃくるい)と呼ばれるグループに属します。 強力な顎と折れにくい歯を持っており、獲物を骨ごと食べることができたと考えられています。 2014年に長崎市で発見された2本の歯の化石は、全長10mを越える大型種のものと考えられており、国内で初めての発見となりました。この発見により、日本にもティラノサウルス・レックスに近い種類の大型肉食竜が生息していたことがわかりました。」 ↓ オランダ坂の方向に歩いて行く。 ↓ 出師橋(すいしばし)。 明治24年(1891)、現在の市民病院付近に棟瓦造2階建ての長崎税関庁舎が建設されました。さらに、明治30年代の第2次港湾改良工事によって出島の海側が埋め立てられ、その埋立地と梅香崎(うめかざき)の間にできた銅座川河口部に、明治37年(1904)、出師橋が架設されました。 出師とは、軍隊が出発するという意味があり、日露戦争中に第6師団がこの橋を渡り出征したことに由来します。 ↓ 我が国 鉄道発祥の地。 我が国鉄道発祥の地跡。 「慶応元年(1865)、英国人貿易商トーマス・グラバーが、ここから松ヶ枝橋の方向にレールを敷いて、英国製の蒸気機関車アイアン・デューク号(鉄の侯爵)を走らせました。集まった人々は驚きの喚声を上げて見物しました。この運転は営業を目的としたものではありませんでしたが、蒸気機関車の運行としては日本で最初のものでした。この試走は日本近代化の先駆けとなりました。 ↓ 運上所跡。 ↓ 運上所跡(うんじょうしょあと)。 運上所は、安政5年(1858)の開国により、税関の事務、外国船からの税金徴収や荷改めを行うために設置されたもので、当初は「湊会所」と呼ばれていました。そして万延元年(1860)の第一次居留地創生工事に伴い、築町の俵物役所内に移転しました。 文久3年(1863)に「運上所」と改称を改め、慶応2年(1866)には庁舎をこの地に新築・移転しました。その後、明治6年(1873)に運上所は「長崎税関」と改称し、明治24年(1891)には本庁舎の建て替えが行われました。長崎税関が現在の出島町に移ったのは、昭和3年(1928)のときです。 ↓ 運上所 (「長崎名勝図会」より) ↓ 坂本龍馬、ここ運上所にて英イカルス号事件裁判に立ち会う。 イカルス号事件は、慶応3年(1867)7月6日夜、英国艦隊イカルス号の水兵2人が丸山花街寄合町の道路に泥酔して寝ていたところを何者かに殺害された事件。 ここ運上所での裁判となった。 ↓ 長崎みなとメディナルセンター。 ↓ ロシア旧蹟。 ↓ 文化元年[1804)レザノフ使節上陸の、梅ヶ崎ロシア仮館跡。 ↓ 長崎聖三一教会。 ↓ ホテル ニュータンダ。 ↓ 大浦東山手居留地跡。 オランダ坂。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.25 14:02:46
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