カテゴリ:国内旅行(九州)
2023年10月15日、長崎のオランダ坂を散策しました。
オランダ坂ですが、かつで長崎の人々は、出島に住むオランダ人の影響から開国後も東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼び、「オランダさんが通る坂」という意味で、居留地の石畳の坂を一般に「オランダ坂」と呼んでいたそうです。 オランダ坂は、明治の初め頃にニールズ・ルンドバーグという貿易商が特別な火薬で開削したもので、後に広げられて今の広さの坂になりました。 ーーーーーーーーーーーー ↓ オランダ坂。 大浦東山手居住地跡。 ↓ オランダ坂 Dutch Slope 当時「オランダさんが通る坂」という意味で居住地にある坂はすべてオランダ坂と呼んでいたと考えられています。現在は、主に活水学院下の坂、活水坂、誠孝院(じょうこういん)前の坂がオランダ坂と呼ばれています。 ↓ オランダ坂。 ↓ 湊会所跡。 ↓ 湊会所跡。 安政6年(1859)の安政の開国により、ロシア、フランス、イギリス、オランダ、アメリカなどの国と自由貿易ができるようになったため、この地に、貿易や外交などに関する事務を行う「湊会所」が長崎会所の一部として設置されました。 湊会所は、文久3年(1863)に「運上所」と改められ、のちに現在の市民病院の場所に移り、さらに明治6年[1873)に「長崎税関」と改称されました。湊会所は、現在の長崎税関の前身です。 ↓ オランダ坂碑。 ↓ 東山手甲十三番館。 ↓ オランダ坂 かつで長崎の人々は、出島に住むオランダ人の影響から開国後も東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼び、「オランダさんが通る坂」という意味で、居留地の石畳の坂を一般に「オランダ坂」と呼んでいたそうです。 この下のオランダ坂は、明治の初め頃にニールズ・ルンドバーグという貿易商が特別な火薬で開削したもので、写真は道路拡張前の昭和30年代の様子です。居留地界隈のオランダ坂は、映画やテレビのロケで数多く撮影され、長崎を代表する人気スポットの一つです。 ↓ オランダ坂。「長崎居留地大いなる遺産」より。 明治の初め頃にニールズ・ルンドバーグという貿易商が特別な火薬で開削したもので、写真は道路拡張前の昭和30年代の様子です。 ↓ 東山手居留地図。 明治10年代。 ↓ 活水女子大学 守衛室。 ↓ 活水女子大学。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.25 15:41:32
コメント(0) | コメントを書く
[国内旅行(九州)] カテゴリの最新記事
|
|