カテゴリ:国内旅行(九州)
2023年10月15日、長崎・東山手十二番館に行きました。
明治元年(1868年)の建設と推定される長崎居留地初期の洋風建築の代表例で、東山手地区では最も古い洋風建築です。ロシア領事館やアメリカ領事館、宣教師の住宅などとして使用されたそうです。 居留地時代に建設された私学に関する史料も展示されています。 1941年(昭和16年)に活水学院に譲渡されましたが、1976年(昭和51年)、建物は活水学院より長崎市に寄贈されました。 建物の中に入ると、飛鳥Ⅱと長崎スカイタワーの写真が目を引きました。 案内文は次の通りです。 「飛鳥Ⅱ 50142トン 定員872人」 2006年2月就航 (旧クリスタルハーモニー) ◎船の右側の塔は、スカイタワー。 1990年(平成2年)に開催された長崎旅博覧会時に設置されたが、1999年(平成11年)に解体された。 ◎左側赤い屋根群は河水女子大学。その右側に当館が見えます。 写真撮影時期 推定9~10年頃」 館内の展示ですが、活水学園の創設者であるエリザベス・ラッセル女史の紹介がありました。 ラッセル女史は米国バージニア州内の教育に携わった後、志願して1879年(明治12年)11月、ギール女史とともに長崎に来ました。ラッセル女史はキリスト教を伝道することで、日本女性に女性の本来の在り方と高度な教育を広めようとしました。 「英字版小冊子(50周年記念誌)」が展示されており、「KWASSUI JO GAKKO(活水女学校)」というページがあります。ラッセル女史が長崎で教育をスタートした事が記されており、読むと面白いので、一部を訳して紹介します。 「1879年11月の遅くにラッセル女史とギール女史は長崎に到着した。感謝祭のディナーで、誰かがラッセル女史に、いつから学校を開く予定なのかと聞いたところ、次の月曜日の朝からと答えた。「でも生徒もいないのに、どうするの」という質問に、「一人の女性徒が登校を約束してくれています」と話した。 ~ 1879年12月1日、月曜日の朝、東山手16番地に一人の少女が来た。彼女は英語を知らず、先生2人も日本語を知らなかった。先生は生徒に英語を教え、生徒は先生に日本語の単語を教えた。」 ↓ 長崎東山手十二番館。 ↓ ラッセル女史、ギール女史。 ↓ 私学の歴史。 梅光女学院、明治学院、活水学院、鎮西学院、親愛学園、海星学園。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[国内旅行(九州)] カテゴリの最新記事
|
|