カテゴリ:河合奈保子さん
「昭和40年男 2024年6月号 vol.85/俺たちが愛した昭和洋画/HERITAGE」を購入して読んでいたところ、小林千絵さんの記事がありました。河合奈保子さんについても触れてあったので紹介します。
(P116)チェリーのアイドルボム! 第31回 小林千絵 (文・資料提供 チェリー(CHERRY ★CREEK) 小林千絵(以下、千絵ちゃん)は、アーティスト売りを得意としていたヤマハ音楽振興会が大々的に売り出したアイドル歌手。 ~ 幼少時から桜田淳子に憧れ、中学生時代には読売テレビ『そっくりショー』で淳子の歌マネをやってのけてチャンピオンに。以降も数多くのオーディションに挑戦、至るところで好成績を収めたことから”オーディション荒らしの千絵ちゃん”なる異名をとるほどになった。そして『スター誕生!』や「HIDEKI(西城秀樹)の弟・妹募集オーディション」などの、より大きな大会に出場するもあと一歩のところで苦杯(テレビ予選敗退、惜しい準優勝)を舐めさせられ、青写真として描いていたアイドル歌手デビューの理想が崩れ去る結果に。そんな結果にやさぐれ気味になったとはご本人の弁だが、才ある者はどんな状況になっても必ずや抜け出してくるものなのである。最後の砦となったヤマハ主催オーディションにて優勝、機の熟した1983年3月「いつも片想い」で念願の歌手デビューを果たしたのだった。 (P118~121)俺たちのアイドル 小林千絵 (取材・文:鈴木啓之 撮影:吉岡希鼓斗) 自称”不作の83年組”。いや決してそんなことはない。同期の松本明子、森尾由美ら、厳しい芸能界にしっかり生き残った彼女たちは紛れもない勝ち組なのだ。今回はその83年組”お神セブン”のひとり、小林千絵さんが登場です。 ~ (P119)中3の頃から1人ではがきを書いて応募するようになり、西城秀樹の妹コンテストで書類選考を通過する。 「大阪の阪急ファイブっていう大きなホールに100人ぐらい集まって、そこから絞られていったんです。その時にあの子になるんじゃないかって思わせるくらい輝いている子がいたんです。それが河合奈保子ちゃんでした。みんな必死に自分をアピールする中、彼女は白いトレーナーを着て素朴な感じだったのに、本人からでるオーラがすごかった。私はモノマネをしまっすって、(桜田)淳子さんのモノマネをしたんですけど、これじゃ足りんと思って森進一さんのマネをしたら、審査員の方が爆笑してくださって。結果河合奈保子ちゃんと私が大阪代表に選ばれて中野サンプラザでの決勝大会へ行きました。もう本当に二人で手をつないで、トイレ行くのも一緒ぐらいに仲良かったんですけど、最終的に奈保子ちゃんが選ばれた瞬間に突然遠い存在になって違う世界に行っちゃったみたいで、私は泣く泣く大阪に帰ったんです」 実は直前まで満場一致で優勝は小林千絵と決まっていた。ところが西城秀樹の鶴の一声で河合奈保子にひっくり返ったというのはアイドルマニア界隈ではよく知られている話だ。 ーーーーーーーーーーーーーーー 小林千絵さんというと、1979年の秀樹の弟・妹コンテストの話が忘れられません。 大阪地区予選では小林千絵さんと河合奈保子さんが選ばれ、東京本選に2人仲良く進みます。 そして1979年3月16日、東京中野サンプラザの決勝大会で、河合奈保子さんが選ばれ、デビューとなりました。 小林千絵さんはその後、1983年にヤマハ/ポニーキャニオンから「いつも片想い」でデビューされました。 河合奈保子さんとの縁もあり、私は小林千絵さんの曲をよく聴いていました。 「いつも片想い」、「水色のカチューシャ」、「ずっとラプソディ」、「渚センチメンタルステップ」、「気まぐれマイ・ラブ」、「牧場の少女カトリ主題歌 LOVE WITH YOU 愛のプレゼント」など、今も聴きます。 ↓ 昭和40年男 2024年6月号 vol.85/俺たちが愛した昭和洋画/HERITAGE (P116)チェリーのアイドルボム! 第31回 小林千絵 (文・資料提供 チェリー(CHERRY ★CREEK) (P118~121)俺たちのアイドル 小林千絵 (取材・文:鈴木啓之 撮影:吉岡希鼓斗) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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