今年こそは、また初心に戻ってちゃーんと日記を書こうと思ってたのに
あっと言う間にもう4月も終わり。
年末には義母が大腿骨骨折で入退院、
1月は父が転倒して病院搬送、
2月は私自身が予防注射をしてたのにもかかわらず初めてインフルエンザに罹り、
3月は・・・・父が2度目の脳出血で入院し、現在に至っています。
4月は、息子の引っ越しに、父の件で何かとバタバタ・・・
それにしても、まさか父が2度目の脳出血で倒れるとは思ってもみなかった
箱入り主婦nekoです。こんばんは。
父の診察の結果は、左脳動脈穿通枝破たんによる脳出血。
意識が回復せず衰弱していく可能性があるとのこと。
神様って残酷ですね。
前回の脳出血の時は、まだ意識もあり、目をぽかんと開けて、動かなくなった自分に
何が起こったのかわからない感じでしたが、
今回の場合は、こちらが見ているのが辛くなるような状態で病院に運ばれていました。
前回の脳出血で左半身が麻痺して、
それでもリハビリ病院での父の出来る限りのことは自分でするように頑張りで、
左手や左足が少しずつ動かせるようになり、
歩けないまでも立ち上りが出来るようになって、驚くほど回復してきた父なのに
もしかしたら1歩でも2歩でも歩けるようになるんじゃないかなって思ってて、
4月14日に予定されていた施設で催されるお花見祭りを楽しみにしていて、
暖かくなったら一度三原の実家に帰ってみようかって話していた矢先の2度目の脳出血で
全身麻痺になってしまいました。
この時点では、このまま回復する見通しはないだろうとのことでした。。。
3月13日に脳出血で搬送された時の父の様子は、言葉では言い表せないほど痛々しくて・・・
普段の父からは想像できない姿に胸が痛くなりました。
と同時に、いつも冗談まじりなことばかり言って
周囲の人に心配を掛けないように迷惑を掛けないようにといつも笑顔でいた温和な父、
お出かけの際はハンチング帽やいろんな帽子なんかを被ったりして
自分なりに精一杯のお洒落をしていた父の気持ちを考えると
この状態の姿を娘の私達には絶対に見られたくなかっただろうなと・・・
そんなふうに思ったりして・・・
うちのおっさんも、いつもとは全然違ってる父の様子に言葉を失っていました・・・
先生の説明を受け、生前の父とも話をよくしていたので、胃ろうや人工呼吸器などの
延命治療は希望しませんでした。
その代わりに痛みや苦痛を感じないですむ出来るだけの治療は続けてほしいとお願いして。
先生も高齢な父の年齢と既往歴から鑑みて、たくさんのチューブに繋がれて
生命を維持するだけの状態になることはすすめられませんでした。
でもって、箱入り主婦nekoは
この時初めてスパゲティ症候群と言う言葉を初めて耳にしました。
その時点の先生の説明では、父の余命は1ケ月から3ケ月。。。
でも、2週間ほどの集中治療室での治療後、個室に移り、酸素マスクも外れ、
点滴での栄養補給から、経鼻栄養補給に変わり少しずつ容態も安定してきて、
まだ意思の疎通はできないけれど、表情も和らいできてるように感じています。
正直言って、延命治療を希望しない選択をした時は、
なんて自分は冷たい人間なんだろうと思ったり、
でも、もし自分が父の状態だったら延命治療は希望しないだろうと思ったり、
「延命治療を希望しない」と口にした時の何とも言えない罪悪感、モヤモヤ感。
以前からみんなで、それぞれに重大な何かが起こって延命治療の選択をする場合があるとしたら
延命治療はしないで尊厳死を選ぶという話をよくしたりしていましたが、
突然その選択を選ばないといけなくなったら・・・心が葛藤してしまいます。
本人が「尊厳死」「平穏死」を願っていても、
本人ではなく家族がそれをいざ決断するとなると、かなりつらいものがあります。
それからは、毎日病院に父に会いに行き、話し掛け、父の容態に一喜一憂する日々。
父の様子やモニターや点滴剤の写真を撮ったり、尿量を確認したり・・・
酸素マスクに吸痰、最低限の治療薬と点滴だけで命をつないでいる
父の姿を見るのはしんどかったです。
でも、個室に移って数日後、
父の鼻にチューブが入っていてそこから水分補給をされていて、
その数日後にはそのチューブから栄養補給されているのを見た時は
「延命治療は希望しない」と告げていたにもかかわらず少しだけほっとしました。
目に見える形で父に栄養補給がされているんですから。
経鼻栄養補給は延命治療のひとつ。
細いチューブを鼻腔から通し、胃または十二指腸まで挿入し、挿入したチューブを通じて、
水分や栄養、流動食や薬などを投与する方法。
経鼻栄養補給は患者本人にはとっても不快なものとも書かれてあったりして、
箱入り主婦nekoは、
父本人が望まないことをしているんだなと申し訳なく思うこともあるけれど、
それでも、その一滴一滴が父の体に入って、父の生きる力になっているんだと思うと
とっても救われる思いを感じました。
「延命治療は希望しない」と告げていたのに
「延命治療にほっとした」なんて支離滅裂ですね。
結局は、
言葉はしゃべれなくても、意識はなくても、ちょっとした反応があるような気がする
まだ痩せては来ているけれど、いつものように撫でたら感じられる父のぬくもりに
「何もしないまま父の死が訪れる日を待つことはつらい」
そんな自分のエゴなんだとも思ったりもしています。
脳出血で倒れてから1ケ月半、
経鼻栄養補給のおかげか父の容態がずいぶんと安定してきているので
先生や看護師長さんのご配慮で、急性期医療機関の病院から、
系列のケアハウスにショートステイ短期入所し、特養の空き待ちをすることになりました。
今まで終の棲家と決めてずっと入所していた特養は、胃ろうの場合は対応できるけれど
経鼻栄養補給の状態での対応はできないとのことで戻ることが出来ず退所して、
改めて経鼻栄養補給の状態でも受け入れて下さる特養の空き室待ちです。
5月1日には、前の住所のままだった父の住所を変更する為に転出転入の手続きをして
それに伴う介護保険や後期高齢者医療保険の手続き、マイナンバーカードの変更、
その他もろもろの変更手続きをして、
5月2日には、病院からケアハウスへ移動して、ケアハウスのショートスティ入所契約手続き、
連休明けの月曜日に要介護認定の変更の為の調査を受けることになりました。
先生や病院の方々、ケアハウスの方々のおかげで、
箱入り主婦neko夫婦もびっくりするような速さで、父の転院の話がするすると進んでいきます。
先生のお話によると、父の容体は、誤飲性肺炎も治まり、安定しているので
1週間後になるか、1か月先になるか半年先になるか、
1年先になるか、それよりももっともっと先になるか・・・
いい意味で、先の見通しが立たないそうです。
あとは父の生命力次第(~~)/
もしかして、1度目の脳出血の時のように、良い回復が待っているかも知れません。
できれば、また以前の驚異の回復力で経鼻栄養補給ではなく、
口から食事を摂れる様になってくれたらいいなぁ。
そんなのは無理かもしれないけど・・・
こうなったからには、不出来な娘ながら、
父の最期の時までずっと寄り添って見守って行きたいなと思っている箱入り主婦nekoなのでした。
また、そんな箱入り主婦nekoを気遣って思うようにさせてくれ
不慣れな手続きの為に一緒に行動を共にしてくれている
うちのおっさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとう。
よっしゃー!
明日から、また忙しくなるぞ。頑張らなければです(~~)/