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テーマ:あの子を思い出すとき(10)
カテゴリ:追悼
こんばんは 中之島タキシードです 今夜は、少しだけ 思い出話をしたいと思います 昔、私や仲間たちを称して こんなことを言われたお当番さんがいました 「そしたら、この子らは中之島ブランドやん…」 確か、あれは秘書たちが、 「猫の部屋」の里親さん募集を始めて 間もない頃のこと 今は、随分変わりましたが… あの頃は、まだ種類や血統がもてはやされ まるで流行りの服やバッグのように 扱われる風潮がありました いつも、その方は それが許せないと言っておられたのです 私や仲間たちは 公園で生まれ育った猫… 種類も血統もない野良猫です 何もない時には 公園の付属品のように見られ 自由そうで羨ましいだとか 癒やされるだとか言われていました けれど、何かが起こった瞬間 誰の目にもとまらなくなって 最初からなかったように扱われる存在でした 命ある生き物に 格付けする世間の風潮 価値がないもの、面倒なものは いらないと言われてしまう理不尽さ その方は、憤りの気持ちから 言われた言葉なのですが… 秘書たちには、とても新鮮に 感じられたそうです 私や仲間たちは 人間が騒ぐようなブランドに 何の興味もありません それこそ、私たち猫にとっては 何の価値もないものだから… きっと、他の動物にしても 同じ気持ちだと思います だから、この言葉を聞いた時 ちょっと違うことを考えていたのです 「猫の部屋」ができる前 私が暮らしていた場所には18匹 いちばん大きなテリトリーだったバラ園と 他の場所を合わせると その3倍以上の数の仲間がいました 私や仲間たちが保護されて以降 時々、流れてくる猫はいても もう公園で暮らす猫たちはいない… 私たちは、最後の世代 ここで生まれ育ち、ここで暮らしていた 最後の野良猫なんだ、と… 秘書たちが私や仲間たちに 「中之島」という苗字を付けたのは そういう意味も込められていたのでしょう 今、当時の世代で「猫の部屋」にいるのは… 私の生まれ育った剣先の みさえちゃん、ちびたちゃん 広場にいた、ももちゃん そして、バラ園で暮らしていた くーちゃんにヒロコちゃん、ビビ すでに、ほとんどの仲間たちは 自分だけの家族と出会い 新しい苗字に変わりました そして、すでに… 空へ旅立った仲間も多くなりました ただ、私や仲間たちのルーツは あの公園にあります それは、いつまでも変わらない… 今、目を閉じると思い浮かぶのは… 美しく整えられた新しい公園ではなく 昔のままの風景 そこにいる仲間たちの姿は 今よりも若くて、元気いっぱいで みんなでじゃれ合っていて… きっと、空の上には そんな光景が広がっていると 私は、思っています 昨日、9月9日の朝 私たちの大切な仲間が また1匹、空へ旅立っていきました 卒業生のキラちゃん 「バラ園のべっぴんさん」と 呼ばれていた仲間です たくさんの幸せな思い出と 最後まで、力いっぱい愛してくれた 大切な人たちの記憶を持って… きっと、今頃 空の上の懐かしいバラ園で 懐かしい仲間たちと再会しているでしょう よく頑張ったね… ずっと、ずっと忘れないよ… 「中之島公園猫対策協議会HP」 web@nakanoshima-cats.com 「中之島公園の猫たち」 nakanoshima_cats@yahoo.co.jp Wさん、お母さん、Rちゃん、Kちゃん 本当にありがとうございました 心から感謝しています… 猫ボランティア・保護活動ランキングへ 人気ブログランキングへ 今はただ、キラちゃんの安らかな眠りを祈って… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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