今や斉藤由貴にのりうつらざるを得なくなった漱石・・・かなしい
夏目漱石の”二百十日”と”野分”を読書中(再読)。正確には二百・・・の方は読み終えて野分を読んでいる最中。それにしてもこの辺の作品には厭世観が強く出ている。正しくは拝金主義、権威主義が横行する世の中への嫌悪感というべきかね。百年前でも2006年でも根本的な世相はそれほど変わらないんだなぁ、とは思うのだが、作品中に漂う漱石の嫌悪感は相当強くて読んでいても少し疲れる。例えば野分に出てくる主人公の細君(って今や死語だなぁ、と実感!ほんと漱石の小説中くらいしかお目にかかれない)は、高潔の士である主人公の心情を理解できずに職を転々とする主人公を詰る愚妻だと描写されているけれど・・・・いやぁ、実際私だってそうなりゃそうする何だか漱石氏の絶望が垣間見えて辛くもなる作品である。そういえば最近噂の昼ドラで漱石は斉藤由貴演じる主婦ミドリ(爆)に乗り移っているわけだが・・・正味なはなしこんな厭世的な人が主婦には憑依しないよぉ主婦に乗り移って結構やっていけそうな人って・・・私の独断と偏見では小林一茶か石川啄木あたり。なぜ?と問われるとこれが全くの独断偏見なので明確な返答はできないのだが