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テーマ:暮らしを楽しむ(388153)
カテゴリ:幸せレシピ
横浜 赤レンガ倉庫発 戦争の後ろにいる女性から終戦を考える ********************************************************** 横浜の街に、戦後60年を 一人、凛として強く生きぬいた ある女性のひたむきな姿を描く 五大路子・ひとり芝居 『横浜ローザ-赤い靴の娼婦の伝説-』 白い顔の伝説を求めて 横浜に育つ私は小さいころから何度と無く 通称メリーさんと出会ってきた。 最後に私が見たのはもう20年ほど前 メリーさんは3年前に亡くなったそうです。 ロングドレスとたくさんのレースがあしらわれた 白いドレスはまるでウエディングドレスのようだった。 真っ白に塗られたおしろいに 時としてスカイブルーだったりパープルだったり アイシャドウはとてもクリアな発色 両手に大きな紙袋を持ち 私が出会うのは横浜の馬車道のベンチ 一人すわり続けていた そんな 記憶です 知らない人や観光客は遠巻きに眺めていた しかし 地元の人は 日常の景色の一つとして とりたてて意識をすることも無かった 子供達はチャチャをとばしたりすることもあったが まったく 耳には入っていないように凛としていた 戦後60年娼婦として横浜に立ち続けた 彼女からは凛として気高さまで感じる あるとき私はそのオーラをもっと感じてみたくなり 何時もの定位置のベンチの横に座ってみた 彼女は何も言わず私の顔を見てにっこり微笑んで またす~~と前を眺め続けた なんだろう この老婆の穏やかさ 今でもあの不思議な空気を忘れられない。 そのころ 美容の仕事をしていて あの白塗りの舞台化粧のような化粧に 興味があったが そんなものはどこかへ行ってしまった。 メリーさんを語る本や宣伝は 「戦下を生き抜き戦後も戦争に翻弄された」 と言う行は戦争の悲惨さを伝えたり 無意味さを伝えるには必要だが 個人的には自分の人生を自分らしく生きた 普通の女性の用に感じている 終戦の日、 東京オリンピックのころに生まれた私が 横浜人として、なんとなく頭の片隅にいるメリーさんを思い出す時 広島や長崎の原爆と同じように 戦争のイメージそのものなのかもしれない。 メーリーさんが生き抜けたのも 横浜人が穏やかなのも 長崎や神戸の様に横浜も港街で 多種多様な異国の文化や考え方を臨機応変に受け入れ 咀嚼し自分の物にできると言うことと 時代に流されながら自分を失わない気質があったからだと思う。 凛として気高いそんな生き方は 強さと寛容さがあってのことではないだろうか。 興味のある方は 明日まで赤レンガ倉庫でお芝居やってます。 ********************************************************** 77777HIT記念感謝カウプレ 応募期間中です~~♪ 詳細は こちら参加希望の方はメールお待ちしてます~~♪ 普段読んでるだけのかたでもOKですよ~ん 気軽に応募してね くじびきだけど・・・・ ******************************************************* 本日も訪問された方 最後まで読まれた方ありがとうございます。 皆様に全ての良き事が雪崩のごとく降り注ぎます!! ******************************************************* ランキングに参加しています。 一日一回ペタの応援よろしくお願いします nekopiの手作りオークション リピーター様何時もありがとうございます。 初めての方少しのぞいてい行ってくださいませ。 お盆はお休みしてます。 もう少ししたら頑張るよ~ マイペースでごめんね また来てね~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.08.17 07:35:57
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