以前の日記で、うどんの名称がカンボジアの土地の名前から来ているという話があると書いたが、
(3月27日「知ってた?名称伝来」)先週末にそのウドンの地へ行ってきた。
ウドン(Oudong)は1618年から1866年までの約250年間カンボジアの首都であった土地である。
各代の王が、王宮や寺院を建設し、今でもそのいくつかが残っている。プノンペンを車で北上すること1時間。ゆったりとした田園風景を走っていると、行く手に小高い2対の丘が見えてくる。そこが目指すウドンの遺跡郡である。
運転手さんが、なぜか正面玄関ではなく裏手に下ろしてくれたので、裏から丘を登っていく。
朝早く出てきたせいか、私たち夫婦の他は参拝客の姿も見えない。仏教祭典がある時などは、人でごった返すそうだが、普段は静かなところであるらしい。
急な階段を登ってまず目にするのが、真新しい真っ白な仏塔。細かい彫刻が施してある。そして、丘から見下ろすまっ平らな下界。
写真に写っているのは、こちらも新しい寺院。寄附がいっぱいあるんだろうなあ。。
それにしても平らな土地である。この土地には17世紀に日本人町があったらしい。
400年近くも前に、こんなところまでやってきて住んでいた日本人がいたのだなあ。ウドンの話もあながち信じられなくもない!?
新しい仏塔の奥にも、いくつかの仏塔がある。チャイ・チェーター王(1618~1626年)の仏塔、アンドゥオン王(1847~1859年)の仏塔。アンドゥオン王の仏塔は花模様のタイルで飾られていて、まるでウェッジウッドの陶器のよう。かわいい。
夫は新仏塔を見ただけで、終わりだと思ったのか、もう帰りたがっている。私はそんなはずはないと「歩き方」を握り締め、片言のクメール語で道を聞きながら進む。道を聞くには及ばない、ただの真っ直ぐな道だったのだが、裏から来ただけに。。女の子が(たぶん)道案内をしてくれた。
モニボン王(1927~1941年)の仏塔。頂部にバイヨン式の四面仏が施されている。メインを見逃すところであった。あぶない、あぶない…
仏陀の祀ってある祠をいくつか。
最後に「18腕尺(9m)の仏陀のビハーラ」と呼ばれる遺跡を見る。要は大仏であった。1911年に建立。1977年にクメール・ルージュの砲撃にあって、そのまま無残な姿を晒していたらしいが、現在は修復中であった。やっぱりいっぱい寄附が…
やる気のない物乞いの人たちの一群を抜け、階段を下りる。最後に丘を振り返ると、仏塔の頂きがいくつも突き出て見える。
なるほど。人はこれを見に来るのだな。知らなかった、裏から来ただけに…。