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カテゴリ:お国柄(国際)
私はけっこう日本人に見られない。
日本語をしゃべると、「あれ、外国人だったの?」(byシンガポール人、韓国人など)「あら、日本人でしたか?」(by日本人)という反応である。 最後の砦であった夫にまで「最近日本人ぽくないね」と言われてしまい、もう完全敗北宣言という感じである。 何をして私を日本人ぽく見せていないのかというと、だいたい次の三点に集約されると思う。 1.顔 2.態度 3.立ち居振る舞い(ファッション含む) 全部ではないか…。 まず1の顔はもうどうしようもない。我が家は祖母も母も、海外旅行に行くと「こんにちは」でなく「ニーハオ!」と言われてしまう人々である。(もしかしたら先祖は帰化人かもしれない。。) 2の態度。これは海外、特にシンガに住むようになってから、俄然でかくなったもののひとつだ。 こうして態度をでかくした立場から観察してみると、日本人と一目で分かってもらえるような日本人女性の態度はどこか控えめというか、周りへの気配り、気遣い(時々遣いすぎ)などに満ちているように思う。 友人もよく口にしていたが、「~なことしたら、~~だと思われちゃう/言われちゃう…」。こういう思考ができるうちは、まだまだ大丈夫、日本人だ。 思い起こすと私も在星当初は、ゆずりあいや気遣いや周りの目を気にする気持ちを持っていたのだが、新婚初期にかなり失った/失わされた。なぜならば、ゆずりあったり気遣ったり周りの目を気にしてお行儀よくしていると、激しく損をする、あらゆる場面で負けてしまう、ということに気づいたためである。 特に夫の前で控えめに、お行儀よくなんてしてたら、欝の末自殺に追いこまれそうだったので、負けてたまるか!なにはともあれ自己主張じゃ!!という態度に変換した。(人のせい。。) そうして自己主張を続けていると、自然と3の立ち居振る舞いなども変わってくる。 和を重んじる、ひかえめな、かわいらしい動きから、大雑把で、物怖じしない、堂々とした(?)動きになり、着る服や好みの色なども、わが道をくっきり描き出すことになってしまうのだ。。 恐ろしい…。よく海外生活の長い人が「もう日本には帰れない」などと言っているのを聞くが、こういうことだったのね。。 そしてこうして書いてみると、症状がただの老化のようでもあるな。。老化と違うのは、人の目があるのに人の目を気にしないのと、人が人を気にしないので、人の目を気にしなくなるところにかろうじて差があるくらいか。(でも大差ないか。。) 日本の美、大和撫子的な美しさというのも、日本全体、和や気配りや控えめさが、その価値を認められている社会でのみ生み出された、本当に希少価値の高い美なのだなあ、と思う。日本の皆さん、どうぞ失わないでね。 こうして日本人に見られなくなることは、残念なことではあるのだが、一方ではストレスが減るといういい面もある。人間楽な方には適応が早いのである。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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