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カテゴリ:インドネシア
2008年11月になりました。
とある問題を「11月までに解決する!」と宣言していたのですが、解決されていなかった月。。 2008年の8月、深井戸建設が終わって間もない頃でした。ある村(A村)からの帰り道、隣村(B村)を通過する時に、徐行していた車両の窓をコツコツと叩く人があったので、何気なく窓を開け、彼から手紙を受け取りました。 それを後部座席に座っていたスタッフに読んでもらうと、「うちの村にも井戸を掘れ。さもなければ、お前たちの車がこの道を通ることまかりならん」といった内容。。 え~~ん、ブラックレター(脅迫状?)を受け取ってしまった~~(;;) さっそくその足で偶然中心地の市場に出てきていたA村の村長さんを捕まえて、こんな手紙もらっちゃった旨を伝えました。A村ではまだ浅井戸の建設が残っているので、こうした妨害を受けると、事業が継続できなくなるかもしれません。 そもそも同郡には43の村があり、そのうちの6カ村を給水事業の対象村として選んでいます。より水確保が困難な村を1年近くかけて調査し、選出した訳ですが、こうした選定の基準というのも、どんなに理屈で説明しても、全員に分かってもらうのは難しいものです。 A村は水を確保するのに、乾季には30分~時には1時間以上かけて川まで水を汲みに行っていたそうですが、メインロードに面したB村では、その道路を渡った先に政府の作った深井戸がありますし、村内のイスラム学校にも深井戸があります。全体的に比較すると、B村の水確保の困難は、A村他5カ村に比べると、さほど深刻ではない、と判断しました。 とはいえやっぱりこれは外部者の判断。B村の人たちからすると、不公平にも思えたのでしょう。 という訳で、その時からずっと、私たちの車両はB村を通る道を通れなくなってしまいました。スタッフらは手を尽くしてB村の有力者らと話しをし、村長さん、郡長さん、国会議員さん。。といろいろ助言を求めたけれども、確たる解決方法はなし。本当は地方行政が事業の安全を確保する責任があるのだけれども、なんだ~かんだ~とうやむやに。どうやらこの地域では、郡長が村長に対して絶対的な権力を持っている、、というシンプルなヒエラルキー構造にはないようです。それはそれでいいんだけど、この場合困る。。 B村もA村と私たちの団体に対して、強硬姿勢だけども、A村も負けてはおらず、B村からリクエストのあった深井戸からの配水システムを即時却下。両村ともこの件については、協調するつもりはないもよう。。 A村とB村の村人の仲も険悪に。。なったわけではなく、村人同士は全然普通に行き来をして、B村の何件かは、A村の深井戸から水を汲んだりしていました。A村村長の第2(第3?)夫人もB村出身。 だから~そうやって(?)仲良くやってくれればいいのに~~(;;) 私たちの車両は別の村(C村)の農道を通る迂回路を通ってA村に来ていたのですが、こちらの道は雨が降ると一気にぬかるんで、とても工事の資機材を運べるような道ではありません。そうこうしている内に、政府が(選挙前に急に活発になって)、C村経由の迂回路を舗装することになりました。 やった~これでこっちの道を通って事業が進められるかな?と思ったら、舗装はC村までで、B村には届かず。。舗装の質が悪いということで、業者が政府に首にされ、業者も政府がお金を払わないということで、消えていなくなり…。計画ではC村~B村~A村までの舗装工事だったはずが、哀れC村までの工事で終わってしまったのでした。(その2へ続く…) やれやれ。。思い出しても、やれやれ。。です。 妨害という行為はいただけないけれども、個人的にはB村の人たちの気持ちも分からないではない。 しかし選挙前にこの件を使って、地域での発言力を強めようとしていた人たちもいたよう。。いろいろな要素が絡み合って、単純に水供給の問題でなくなってしまっているのが、おそろしいところです。 あんまり政治的な枠組みに巻き込まれないよう、注意しながら、解決を図る必要がありました。 人道支援的な行為といえども、全員が等しくHappyにはなれないのが、残念なところです。でもそもそも事業のリソースは日本の寄付者の人たちですから、こちらとしては、調査をして理屈を通して決めたことを、簡単に覆してバラマキに転じるわけにも行きません。 本当の「公平」とは何なのか?を考えさせられました。 ドリアンの季節です! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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