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厳しい寒さの長い冬をなんとか乗り越えた人達が 春になるとホッとして力尽きるのかこの季節はお葬式がとても多い。 夕べ夫の姉のつれあい、つまり義兄にあたる人が亡くなった。 2年ちょっと前に末期の膵臓癌がみつかり数ヶ月の命と言われたのだが 義姉一家総出でなんとか手術をしてくれる専門医のいる病院を探し出し ぎりぎりの所で切除手術に間に合って数ヶ月と宣告された命を永らえて来ていた。 義兄にとっての2年間は抗がん剤を投与されながらの戦いの日々でもあったけれど 回復してからは体力を戻す為にジムに通ったり 住んでいる地元の人達との交流を楽しんだりと 決して振り返らずに命を燃焼し続けて来た日々だったと思う。 最期は痛みもかなり強く出ていたらしいのをモルヒネなどで押さえて 亡くなる前日まで2階の寝室から階下のトイレに歩いて数回往復していた程で 医者もその体力に驚いていたと聞かされた。 義兄は68歳だった。 現在平均寿命が長くなったので68歳は亡くなるには若いと感じる年齢になってしまった。 彼はほころび始めた桜を目に出来たのだろうか。 少なくとも庭の春の陽射しに開いたいくつかの花を眺めていただろうと思うけど。 2年間の生活はQOL、とても密度の高い充実した時間だったと想像する。 2年間生き延びられたおかげで義兄は初孫を腕に抱く幸運にも恵まれた。 誰の言葉か忘れたが「好く死ぬ事は好く生きる事」という言葉を思いだした。 人が亡くなる事は本当に悲しい。 でも肉体が滅び去ろうが義兄は娘と息子に、そして孫娘にそのDNAを伝え残した。 彼の存在した事実はこうして次世代の中に受け継がれて生きて行く。 明日はお通夜で明後日は告別式になりますのでネットはお休みになります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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