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カテゴリ:気持ち
もう一つすごく気になっているのが敬語の使い方である。 日本語は本当に複雑で敬語と言っても丁寧語・謙譲語・尊敬語と使い分けるのが正しい。 普段乱雑な言葉使いをしている人でも必要に応じて何とか使い分けているのだけれど・・・。 私自身も話していて訳が解らなくなりそうになる事が時々あるのだが 一番耳について嫌いな言葉に「~させていただいた」とか「~させていただきます」がある。 「○○という本を読ませていただいたのですが」なんて聞くと読んだのは自分だろ! と言いたくなってしまうのだけどその言い方って本当に正しい謙譲語なのだろうか? 専門家では無いし詳しくは解らないけれどご存知の方がいれば教えて頂きたい。 選挙カーから流れるうるさい声も「この度立候補させていただきました~でございます」 なんてのがあったりすると立候補ってのは自分でする事なのに 一体何所のどなたが「させてくれた」事なんだろうかと揶揄したくなってしまう。 議員になりたいのは自分でしょ?? (ーー; 自分をへりくだった言い方をするのが謙譲語である。 飽くまでも相手を立てて失礼のないように心遣う言葉のはずである。 それなのに自分が主体となってする動詞にまで随分と「させていただく」が氾濫している。 相手からの好意に対してへりくだって「させていただく」と使うなら正しいだろうけど 「させていただく」事ばかりの人生のような話方をする人が多いのには呆れるばかりだ。 一体アンタは自分ではどう考えてどう行動しているのさ?って聞きたくなる。 過剰というか過敏になりすぎた使い方の例だと思っている。 その反対に良い年をした多くの大人が自分の親の事を「お父さん」とか「お母さん」がなど 平気で使っているのも聞き苦しいと思う。 タレントの中で珍しく父がとか母がとか言っている人を見ると好感を得てしまう位だ。 酷いのになると「私のお父さんが~おっしゃった」などと平気で言う者が結構いたりする。 もっと落ち着いて考えて喋ったらそんな言い方は無いと解るのだろうとも思うけど それ以前に何も解っていない解らない解ろうともしない人が多いだけなのかもしれない。 普段はテメェだのコノヤローだの使っていたって一向に構わないと思う。 でもその場所や立場を考えた言葉使いが出来るかどうかは私から見たら大切な事なのだ。 分をわきまえるという事、言葉使いにも行動にも総て関連してくると考えるからだ。 偉そうな事ばかり書いている自分がそんなに偉いのかと言われたら違うと思う(自爆) でも必要に応じてその場その場で正しいとされる言葉使いをするくらいの自信は この年齢になったら持っていて当たり前であるし出来なかったらおかしいと思う。 正しい言葉使いは子育てして来た中でも一番気を遣わなくてはならなかった一つであった。 知らないという事から来ている言葉の乱れは学校の国語教育がどーのこーのではないと思う。 言葉は意思の伝達手段に過ぎないのが本当だけど覚えるのは乳児の頃から始まっている。 大切な初めの一歩は家庭内での躾から構築されるべき事であろう。 言葉は時に命を奪う程の武器にすらなるものである。 故に使いこなす事が出来れば人間関係の潤滑油として大きな役割を果たすものだ。 これからの世の中がどう変わろうとおかしな言葉や間違った言葉には絶対妥協出来ない。 今日は日頃感じていたこんなうるさい思いを「書かせていただきました」(爆) ね、やっぱり変じゃない!! 書きたくて書いたのは私であって誰かがさせてくれたのではないのだから・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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