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卒業式当日 《注:今回のブログ内で私は親馬鹿丸出しのデレデレの息子自慢を書いています。 どうか覚悟してお読みください。憎悪軽蔑注意報発令中》 22日朝、ホテルの窓から外を窺って見ると・・・・・降ってるし! 霧雨程度なのでもしかしたら上がるかもと願うばかりです。 馴染みのあるコーヒー店はまだ開いていませんでしたけど(トロリー駅のすぐ横の写真)石畳がびしょびしょなのが解るでしょうか アメリカ人はあまり傘を差さないのですがこれは霧雨の中の写真です。 さて卒業式は学校全体の式を大学のスタジアム、つまり野外で挙行の予定でした。 良い席が取れるようにとかなり早めにホテルを出てトロリーに乗って出かけました。 スタジアムには2時間も前に着いたのですが案の定既に何人も来て席を取り始めていました。 ここが式典会場です。すごい色の空でしょう いよいよ卒業生達が入場して来ました。雨は時々本降りになる状態で、親達も学生達も学校が用意してくれたレインコートというよりもカッパを来ています。 ボストン大学のスクールカラーは赤で卒業生の着るガウンも真っ赤です。 因みに長男の出たコーネル大学は黒、次男の行ったニューヨーク大学は紫と 卒業式のガウンの色もそれぞれ異なります。 左よりコーネル大学・ニューヨーク大学・ボストン大学。 小さい写真で解り難いと思いますが上の写真で被っている帽子についた房が 右側にあるのと左側にある写真がある事が見えるでしょうか これは卒業証書の授与が終わって「卒業した」状態になると右側に垂らしていた房を 左側へ垂らすように付け替えるからでこれも大切な儀式なのです つまり長男のは卒業後の写真で次男と三男のは授与式以前に撮った物だと言う事です。 開会宣言の後に学長の言葉があり卒業生代表の言葉があり教授達への表彰が続き そしてボストン大学としての名誉学位を多数の学問分野における功績を残した人達への 授与式がありそれらの人達は一人一人が挨拶をしますから結構時間が掛かります。 最後に授与されたDr.Steven Chuという人は1997年にノーベル物理学賞を貰った人で 環境問題についてをジョークを交えながら話したのですがとても面白く興味深いものでした。 この頃から雨はますます激しくなり空の様子も鈍色の雲がどんどん流れて行き 風も出て来て寒く最悪な天候の下での野外式典となりました。 この集合式典の後にそれぞれの学部ごとに分かれて個人への卒業証書授与式になります。 野外式典の間中結局雨は前日の霧雨などより激しく大粒の雨となって降り続き 学部ごとの会場へ移る状態になった時にやっと一時小降りになりました 横に長く伸びて点在する校舎ですのでシャトルバスが沢山の親達を運んでくれていましたが カッパを着ていたとは言え雨の中冷えていたのでずっと歩いて会場へ移動する事にしました 息子の卒業する学部は正式には: Boston University, Sargent College of Health and Rehabilitaion Sciences という長い名前になります 今度は大テントの中に作られた会場でしたのでまた雨は強くなりましたけど気分的に楽でした。順番に名前を呼ばれる前のウキウキしたような状態でしょう。 名前を呼ばれて息子が壇上を進んだ時、何だか思わず涙が出てしまって自分でも驚きました。やっぱり末っ子だからなのでしょうか 彼はここでHealth Studiesという学科を卒業しましたが既に大学院での勉強が始まっていて これからの2年間はDoctorコースにてPhysical Therapy Degree(物理療法士)の資格を 取る為のハードな勉強と実習が待っています。 ドクターコースと言っても医者になる訳ではなく博士課程の事です。 房の位置が左右入れ替わったのが解りますね 今までもそうでしたけどこれからの2年間は生半可な覚悟では通り抜けられません。 一緒に写っている人達がこれからのドクターコースを供に学んでゆく仲間達です。 三人の息子達がそれぞれ大学4年間を無事終えて卒業し親として感慨深い状態です。 三人供外国で育ち日本人/東洋人でありながら教育を英語教育に選んだ時から 英語が普通に出来てもそれだけでは意味が無い事を覚悟しなくてはなりませんでした。 差別を激しく非難して恥とするのは表面上でアメリカはやっぱり白人中心の国、 その上かなり激しい階級社会そして実力社会でもあります。 どんな大学を出たかという事もとても大きく将来に影響を与えるので どうせ高い学費を払うのなら出来るだけ社会に通用する良い大学を選んで欲しい、 4年間の学費が親からの最後の贈り物であり遺産であるから その時間とお金を決して無駄にせずに自分の将来の道を作る事に専念するように・・・。 息子達が学費以外にかかる生活費は切り詰められるだけ切り詰めていたのを知っています。 4年間もっとお金が潤沢にあれば学生生活がもっと楽だったかもしれません。 でも貧乏生活をしながら楽しむ所は充分に楽しみ良い友達を沢山つくり 様々な経験をして人とのつながりを持ち、帰省する度に成長した姿に驚いたものでした。 生活費はどうしょうもない状態になるまで送金を依頼するメールが来ませんでした。 長男が最初に弟が二人続く事を考慮して無駄遣いを全くしないで頑張った姿を見たからか 弟二人もそれを見習って本当に良く頑張ってくれたと思います。 もちろんお金が無いと解れば送るくらい出来ない生活ではありませんでしたけど 学費の高さを考えただけで無駄遣いして親に負担をこれ以上かけられないと 三人が三人供大人の気持ちで考えてくれた事は嬉しい成長でした。 アメリカでは沢山の生徒達がファイナンシャルエイド(学生ローン)で学費を借金し 卒業後何年もかけて返すやり方で入学して勉強しています。 それでも外国人だったり海外からの留学生の場合は条件がどんどん悪くなりますから 出来れば借金せずに全額払う形にした方が入学に際し考査以前のチェックで有利でした。 長男が入学した時から比べて学費は年々上昇を続けて来ましたが 今では年間大体US$35000~$40000くらいかかるようになっています。 三男の大学院での2年間にはもう親は学費を負担しません。 三人の息子達それぞれに平等に4年間の学費を出す、これが前提だからです。 今度は学生ローンを使って払い、足りない金額は親が「貸す」という事はあるでしょう。 私達は子供の教育費に殆どのお金を注ぎ込みました。 それは教育こそが子供に残せる財産だからだと考えたからです。 それでもアメリカの私立大学を三人も借金無しで卒業させた夫の力は凄い事だと思います。 決して潤沢に最初からお金が沢山あった訳ではありません。 少しの貯金を金利の有利な方へ回したり香港ドルと円とUSドルとの為替差を細かく計算し どの貯金を何所へ動かして何時ドルに換えて学費として送金するか・・・。 そんな緻密な計算と計画を投げ出さずにやり遂げた夫こそが最大の功労者なのだと思います。 息子達の父親への尊敬の念は本当にしっかりと心に根付いているのが解ります。 そしてそんな家族を持った私は一人で何も計算せずに祭に浮かれて飲んでいる幸せ者です 日本語もそうですが英語も文を書いたり話したりする言葉に使う単語の種類や言い回しなどで 教養があるかしっかりした教育を受けた人かが見抜かれます。 日本人だからという事で見逃されて許されたならそれは見下されたという事です。 息子達に強く願ったのは独立心を持つ事、そして自分の意見などをきちんとした言葉で 率直で正確に述べられる、又は書き下す事が出来る大人になるようにという事でした。 漸くその域に末っ子が達してくれたようで学費負担の面も含めて夫と二人で 本当にこれで子育てが終わったという事なのでしょう。 独立心に富んでもう立派な大人に成長した息子達は細かく連絡をくれる訳じゃありませんが 決して忘れられていたり疎遠になっているのではありません。 自分自身の事を考えても同じく自分の生活を持ったという事なのだと思っています。 何時も纏わりついていた幼い頃を思い出すとちょっと寂しい気がしますけど 望んだ通り立派に成長してくれたのだから幸せに思い子離れをしなければいけませんよね さて総ての式典が終わった頃ようやく空が明るくなり晴れて来ました。 なんでこれがあと半日前じゃなかったんだろうと思いたくなる位良い天気になってしまいました これも大学の建物でかなり古い造りで素敵な雰囲気でした。 もうちょっとなのですが眠いから今日はここまででまだ続きます。 次で終われますから(^^; 長くてつまらなくてごめんなさい もう一回続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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