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くりごと

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2007年06月16日
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カテゴリ:気持ち

最近良く見かけるのだけれど日本人は拍手をする時にどうして手の指を開いて

まるで幼児が手を叩く時のような事をするのだろう?

そうやって手を開いてパチパチと叩いて可愛らしいのは本当に小さい子だけで

自分達もそんな動作をしたら可愛いと考えての事なのだろうか?



テレビをちょっとつければ必ず指を開いてパチパチとやってる姿が目に入る。

私にはそれはただの馬鹿面にしか見えないのだけれど何時からそれが普通になったのか。



漫画が市民権を得てから「漫画での可愛い姿」を実際に真似てするようになったように思う。

立つ姿ひとつ取ってもどうして内股にしてつま先をつけて立つのか。

それは私の年齢の頃の漫画で既に小さい子や可愛い子の立ち姿として描かれていた。

でもそれを実際に女子高生や女子大生、はてまた20代の若い女性が真似てやっている。

既に真似とかいう時点は過ぎて立ち姿はそういう形と当たり前に摺り込まれているようだ。



人の体は生きているから大人になってもましてや若い頃の動き方で骨の形も変わるのだろうか

内股立ちのせいで最近の若い子の足は殆どが悪い言い方をすればガニマタ(爆)

正しくは踵・膝がついて真っ直ぐであるべき足が

姿勢の悪さと内股などからどんどん外側に湾曲して酷い隙間が出来てしまっている。

そしてそんな女の子が東京は掃いて捨てるほど沢山歩いている。



あんなに良いスタイルで可愛い顔しているなら背筋を真っ直ぐに伸ばして歩いて欲しい。

ハイヒールを履いた時こそ背筋を伸ばせば膝はまっすぐになり安定し

自然と綺麗に腰が左右に揺れる非常に美しい歩き方になるのにもったいない。

歩く時は背中を伸ばすという事を「常に歩いている間中」意識して歩くように、

膝をまっすぐにのばして太腿から前に出す気持ちで決して内股にならないように注意して、

そんな小さな努力の方がブランド品やアクセサリーで飾ったり

化粧をしたり髪を巻いたりするよりも遥かにおしゃれで美しく見せられるのを解ってない。

あ~あ、なんて勿体なんだろう・・・。



今日も目の前をサイズが合わない大きい靴をずったらずったら膝曲げて引き摺って

一生懸命髪の毛を気にしながら歩いてる若いお姉ちゃんがいるけれど・・・。

自分に娘がいないから余計に気になって勿体無いと感じてしまう。

自分が二度と取り戻せない若さを不注意から醜くして過ごしている子達が可哀相になる。



まっすぐな足になりたかったら眠る時に足首を重ねて眠ると良い。

本当はこれを3歳とかの幼い頃から眠った後で親が組んであげると真っ直ぐな足になる。

夜中にほどけても構わない、眠った時にだけ組んであげれば柔らかい骨は真っ直ぐになる。

そして内股に決してならないように注意する事。

これでかなり違うのだけどなぁ・・・。



去年の準ミスユニバースだった知花くららさんや今年のミスユニバースの森理世さん、

あの二人の歩く姿を横から見れば一目瞭然、背筋がまっすぐ膝もまっすぐ。

そして絶対に内股で立ったりせずに踵をつけて膝を伸ばして綺麗にすらっと立っている。



話がずっとずれちゃった(爆)

最初に気になって書いたのは日本人が、特に若い女性が指を開いているという事。

畳に正座して手をついて挨拶なんて殆どしないのだろうけれど

以前行った事がある豆腐料理の老舗で、気立ての良い可愛い女の子がお運びさんで

運んでくれる度に丁寧に手をついてお辞儀するその指が全部開いていて残念だった。

どうにも落ち着かなくて気になっていたのだけれどきっと彼女だけなのかと思っていた。



帰国してからびっくりした、本当にみんな指を開いている事が多いからだ。

祭の場で私の前で一本締めや三本締めをあんな手でやったらその場で叱り付けるからね!

日本の伝統文化の中で動きの流れの美しさが培われてきていた筈なのに

それがたった数年で破られたり壊されたりして堪るかい!

箸の持ち方については再三ここで書いて鬱陶しいと思ってる人も沢山いるでしょう。

(だから直しなさい! それは恥ずかしい事なんだって自覚して! 言い訳無用。)

でも細かい事を非常に細かい事を言えば箸の持ち方以前に持ち上げて持つまでの動作、

食べる時の動きの流れ、そんな事にだって伝統や文化が宿ってるんだよ!

指をそろえる事で出来る柔らかな曲線やぴしっとした直線は非常に美しいのだ。



日本の所作の流れの美しさは無骨で器用じゃない欧米人には出来ない動きが沢山ある。

清冽な水の流れに恵まれた日本だからこそ流れるような美しさが生まれたのだと思う。

茶道の動き、日本舞踊の動き、能仕舞の動き、和太鼓を打つ動き、

日常の中では包丁で物を刻む動き、ちょっと人にお辞儀する動きなどなど

数え切れない程流れを持って無駄のない流れが底辺にあるのだと思っている。



偉い人とか大切な人とか尊敬する人の前で食事をする時に

口開けて噛んだり箸を放り投げるように置いたり箸で歯をせせったり

とにかくそんなみっともない事普通は絶対にしないでしょう?

そういうちょっと気取った(言葉は良くないけど)というか頑張った(もっと悪いか)

食べ方が本来の作法に近い食べ方なんだって思う。



人に迷惑を掛けることはとにかく悪い事でいけなくて・・・、

それが凝縮されて人様から見て見苦しい事も避けようという事になって

そんなちょっとした優しい気遣い、自分がされたら見せられたら嫌だなという気持ちから

作法とかお行儀とか躾とかそんな方向に文化が進んだんだって思っている。



確かに最近歳取って来たら私は重箱の隅でもほじくり返したくなるくらい

色々な事が目に付いて耳に付いて非常に小うるさい婆になって来たと自覚してる(自爆)

だからアナウンサーのイントネーションが変だったら殴りたくなるし

「ら」抜き言葉はもう市民権を得ていると言われても許せないし聞き苦しくて堪らない。

挨拶がちゃんと出来ない大人は蹴っ飛ばしてやりたいし

筋の通らない事を許せないから自分が必要以上に気を遣って人間関係に疲れてしまう。

中学生以上になって親の事を人に話す時に「お父さんが、お母さんが」なんて言ってたら

走っていって首絞めてやりたいと思うくらいだ。

実際自分の子供達だったら蹴ったり首絞めたり殴ったりってしてでも直してやる。



自分だって大した人間じゃないけれど知ってる事は伝える義務があると思うようになった。

遠慮したり躊躇したり謙遜したりばかりだとちゃんとした生活文化を伝承出来ないからだ。

大人になってから教えられなかったという理由で恥知らずを通すのは怠慢だと思うのだけど

知らない事ならば教えてあげたいと思う。

でも本来ならば知らない事は自分から求めてでも習おうとするのが当たり前なのだけど…。

どんなに化粧しようが髪を染めようが語学に堪能であろうが本質は変われないし

絶対に日本人である事からは抜けられない、だからこそ日本人を自覚して誇りにして欲しい。



政治家や官僚のめちゃくちゃ横暴など美しい日本どころか「どうしょうもない国日本」だけど

それでもこの国独特の文化や伝統はまったく色褪せずに伝わっている。

そういう伝統文化というのが芸術的な物事ばかりでなく日常にあるのだと認識して欲しい。











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最終更新日  2007年06月17日 00時05分45秒
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