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くりごと

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2007年07月31日
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カテゴリ:気持ち

今日は叔父のお通夜に出席して来た。

昨日に引き続き予報よりも低い気温の夕暮れ

四谷にある浄土宗のお寺の木立に読経と供に蚊取り線香の煙も流れる。



お焼香をする人達の列の中に一際目立つ白い制服の姿があった。

片手に旭日旗を持った帝国海軍の白い制服を着た老人である。



叔父は最後の頃の予科練に籍を置いていた。

戦争がそのまま続いたら数ヵ月後には出撃が予定されていたそうだ。

乗り込むはずだったのはベニヤ板で出来た特攻用モーターボート震洋。

大きな波に出会ったらそれだけで砕けてしまったかもしれない船だ。



七つボタンの予科練の制服を着て軍刀をついた若き日の写真がある。

18歳位の叔父は凛々しくも幼さの残る顔をきびしくして写っている。

写真と供に祖母(叔父の母)へ残した遺書もあったそうで

祖母が亡くなった後に私の母がそれを叔父に返した事があった。
(私の家は父が長男で本家として祖父母が供に暮らしていたから)

実家で親戚が集まっての宴会の席だったと思うのだけど

それを手にした叔父が泣きながら予科練の歌を歌ったのを覚えている。



ほんのわずかな違いが運命を分けた時代があった。

予科練から震洋で特攻に行く予定だった叔父は次男だった。

去年の秋に亡くなった三男の叔父は少年飛行兵として

やはり大空に舞い散る事を夢見る少年だった。

長男の父は高射砲科の幹部候補生に受かり訓練中だった為

元いた隊の多くが硫黄島方面に送られた中命を長らえた。



祖母は五人の息子の内三人を軍に取られ「軍国の母」として

賞状を貰ったと言うがどれ程不安で心配な日々を送った事だろう。

出征した三人が三人供無事に戻ったのは稀に見る幸運だったと思う。



古いお正月の写真を見ればそこに床の間を背にして笑顔を向ける

壮年の五人の兄弟が写っている。

時間は過ぎ季節は流れ去り四男三男次男と逝き

とうとう長男と末の五男のみになって寂しい事この上ない。

私の実家は親戚同士仲が良く何かと言うと皆が集い飲み唄い踊り

その賑やかな中で私達いとこは育って来た。

代が変わり巣立つ次世代の住む場所がばらばらに散り広がり

なかなか会う機会がなく遠ざかる縁はどんどん薄くなるかに思えたが

父の兄弟の訃報で久し振りに顔を合わせれば昔のままで

兄弟のように育ったいとこ達や次世代の子供達までの交流が残っている。

逝った人の名残の恩恵で離れていた縁を再び強く結び直す事が出来たのだ。



順送りに逝く人達はそれぞれ年齢を重ねて良い往生をしたのだと

心に納得して冥福を祈るしかないのだけれど、

懐かしい面影はどうしょうもなく愛しくて

過ぎた日々優しかった事や可愛がって貰った思い出が次から次へと流れる。

あの場に居た総ての人が懐かしい、あの過ぎた時間が愛しくて涙が出る。



白い海軍の制服に身を固めた人ももうすぐ80歳になるという。

こうやって戦争を体験した人々がどんどん少なくなり

やがて戦争を知らない世代だけでこの世を乗り切る時代が来るけれど

二度と戦争を知る世代を作らない世の中になって貰いたいと願う。



明日・・・、

叔父は空へと高く翔け昇る。










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最終更新日  2007年08月01日 00時48分21秒
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