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かーなーりー、尾籠な話であるから読まない方が良いかもしれない 責任は読んだ自分にあるのだと確認してからどうぞ 夕べから夫がいきなりひどい下痢になった。 別に吐き気も熱も胃痛も無いのだけれど、とにかく水溶性の下痢が止まらないらしい 怒涛の下痢である 今朝から白湯と梅干を少しだけ口に入れて暖かくして眠っていたけれど、相変わらず下痢は収まらないで続いている。 しかし下痢の間隔はそんなに頻繁でもないし、症状はそれだけで風邪をひいたような気配さえないので医者には行ってない。 夜に煮込んでトロトロにしたお粥と梅干を初めて食べて、電解質を補う為にスポーツドリンクをぬるいまま飲んでみたが、その後はなんとか止まっているようだ 食欲も無いし食べていない、水分を摂るようにはしていてもとにかく体力が落ちて力が出ないらしい こういう状態になると即私が被害者になってしまう 朝のゴミ出しから吟のトイレの掃除から、牛乳瓶を取り入れたり出したり、とにかく些細な面倒臭い事を全部やらなければならなくなる (そして吟のウンチは非常に臭いのだ) こーゆーのって私の仕事じゃない だから早く治ってちょうだい ( ̄▽ ̄*)でぇ こんな時に限って弱弱しい声で夫がわざと言う・・・、 「ごめんね抱いてあげられなくて」 ( ̄◇ ̄;)げっ だから私は即返事を投げつけてやるのさ・・・、 「そんな下痢の飛沫を浴びた体に抱かれとうないわいっ」 (/><)/ ひぃ 馬鹿な会話だけは元気にやってみたりする こう言った意味の無い冗談が生活の潤滑油となっているのだ だいたい私達夫婦の生活には最初っから下痢が付き物だった 結婚式を挙げた次の次の日に新婚旅行へと旅立った私達 若くて初心だった私は初々しい花嫁となる緊張で式の間何も口にする事が出来なかった。 長く疲れた人生の晴れ舞台が終わった夜、私はお祝いに出かけた赤坂のレストランで空きっ腹にいきなりワインを流し込んでいたのだった。 人生の有頂天の時期にそれが後で何を引き起こすのかなど全く考えてもいなかった 新婚旅行はスイスへ行った。 その頃は南回りで、途中香港・カラチ・ジュネーブ・チューリッヒと給油しながら26時間もかけてフライトする飛行機だった そして香港での給油を終えて飛び立った後、私のお腹はハリケーンよりも竜巻地獄よりも恐ろしい怒涛のような津波のような消化不良を起していたのである ( ̄□ ̄;)!! エコノミークラスだから腹痛と胃痛を伴うひどい水溶性下痢に苛まれて辛い体を横にする事も出来ない トイレと座席を行ったり来たり、戻ったと思うとまた次の怒涛が~ まだ着かないの、と暗い窓の外を見ると、目の下には巨大な大蛇がのた打ち回るように蛇行するガンジスの流れ・・・。 まだインドかいっ ミ(o_ _)o バタン!! 本当に死ぬかと思った。 新婚旅行に行く飛行機の中で下痢による脱水症状と腹痛で死んじゃうのかと思った 給油で下ろされたカラチの飛行場では警備兵がすぐ近くに何人も銃を持って立っているのを初めて見て驚いたけど、体中の力が無くてヘロヘロしていた。 待合室の椅子に座っても体を真っ直ぐにしていられない状態で息をするのも辛かったのを29年経った今でもはっきり覚えている。 あの時私は本当にもう死にたいと思うくらい辛かったよ 持参していた整腸剤はトランクに入れて預けてしまっていたのでお手上げだった。 今考えると何故乗務員に薬をくれと言わなかったのか不思議だけど、当時はとにかく水分を摂って、早く着く事だけを祈っていた。 ところが飛行機がジュネーブから先は濃霧の為飛ばない事になり、代わりに飛行機会社から特急列車の乗車券を貰い電車でチューリッヒまで行く事になってしまった 飛行場からどうやって駅に行って電車に乗ったのかあまり覚えていないのは、年月が経ったからではなく殆ど記憶出来ないほど衰弱していたからだ(爆) 夫は結構真剣にお棺を持って帰国するにはどうしたら良いか、などと考えたらしい それほど凄まじい下痢フライトだった 新生活最初から下痢が付きまとう私達、今ならば笑い話だよ ヽ(^0^)ノ でも最初にそんな修羅場をくぐった(飛沫は浴びてない・・・と思う)おかげで新生活での 何故ならば優しい夫は新婚旅行のホテルでバスルームにいる私に大声で「ピーでもブーでも遠慮なく大きな音出して下痢しちゃいなさい」と言ってくれて始まったのだから o((*^▽^*))o ゲラゲラゲラ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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