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カテゴリ:気持ち
昨日のイージス艦と漁船の事故は気の毒で痛ましい事件ですね。 まだ見つからない乗組員の家族達、本当に辛いだろうなぁ・・・・。 イージス艦は「愛宕」という名前。 発音はどちらかと言うと平坦に近く「あ」の音が一番低い。 愛宕神社とか愛宕山とかと同じ読み方。 でもテレビで「愛宕」の発音を「あ」を一番高く言う人が多い。 と言う発音形は間違いであって、が正しい筈。 の形を取る場合は関西系の発音の仕方で、東京と限定する事はしないけど一応の共通語とされる発音はの形を取る事が多い。 最近テレビで聞く言葉の発音がひどくばらばらで間違っている事が多く耳についてとても気分が悪い。 話している言葉が全部関西弁ならそれは問題なく受け入れられるのだけど、アナウンサーとかが共通語として話す中で、単語のみが他の地方の言葉で発音されると非常な違和感を覚えるし、公共性の高い媒体であるマスコミの日本語に対するチェックの甘さや無知に腹が立つ。 東北系も共通語とは違っている場合が多いので関西系の影響力の強さばかりが原因とは思わない。 一般的に自称も他称も「業界人」と言って、自分達を一般よりも一段高い場所にいるかの錯覚を起こして大きな態度を取る人達の、メディアからの影響力の良し悪しに関してあまりにも意識が低いのが原因だと思う。 NHKのアナウンサーしかり、毎日テレビをつけている間に「おいっ」と思う事が数え切れない。 例えば「熊」。 これはが正しく、最近ではほとんどのメディアで使われるようになってしまったでは「隈」の意味になってしまう。 寝不足すると、目の下に熊が歩き回るのか(爆) 要するにそんな感じで共通語の中に、いきなり方言的な発音が混ざっていて驚かされるのだ。 そして一旦間違った発音で堂々と話されると、次からはもう周りが皆同じ間違いを始めて次第に当たり前に使われてしまう。 現在の日本人のボキャブラリーの貧しさが、ちょっとした違いも解らず間違いを鵜呑みにして使い続ける悪循環が始まるのだ。 これは発音にかぎらず日本の文化全般に言える事。 今朝のワイドショーの中では「寺社仏閣」と言うア アナウンサーがいたが、これではお寺だけの意味になってしまう。 話の内容は神社やお寺という意味だったので正しくは「神社仏閣」。 彼は思い込みを何も疑わずに言っていたのだろう。 そしてそれを聞いていて今までそんな言葉も知らないし使った事も無い人達は、その間違いを新しい知識として受け取り、間違ったまま使い出す。 そんな悪循環の繰り返しがどんどん私達の大切な独自の文化を駄目にしてきている。 悲しい・・・。 私がこんなに日本語や日本文化にこだわるには理由がある。 海外で子育てをしてその中でどれ程の思いで正しい日本を伝えなければならなかったか、がその理由だ。 子供達と一番長く接する母親である私の責任や影響は大きく重く、常に一定の決まりをもっていなければならなかった。 知らない母国を好きになって誇りに思うように育てるのが使命だと思ったから、まず基礎となる言葉に関しては敏感にならざるをえなかった。 そしてその中で日本語がどれ程美しい言語であるかを深く感じて来た。 本で見ただけの言葉などは「生まれて一度も耳にした事が無い」発音なので時々とんでもないアクセントをつけて発音してみたりする。 それが体に染みこむ前に、繰り返し繰り返し訂正して教え、会話の中で何気なく使う機会を持たせるような話題に仕向けて使わせたり。 言葉は生き物だから使わなければどんどん錆付いて忘れられてしまうから、とにかく日本語の会話を徹底させたりと気を遣って来た。 無知の幼い者たちが知らないまま間違いを真実として受け入れてしまわないようにあれ程注意して育てたつもりだ。 だけど成人して帰国した息子達は単純だから、それまでに知らなかった言葉に関してはメディアや若者達が使う間違った(これには知っていてわざと変な言い方をする場合と、知らないでただ受け売りで間違いを正しいと思っている2通りあると思う)発音や単語の使い方を、こうやって使うのかと受け入れてしまっているんだろうなぁ・・・・。 チョーナンのフィアンセゆりりんは四国で関西系の発音が基礎になっているから、影響されやすいチョーナンはそういった部分でも全部それ共通語だと勘違いして理解するんだろうなぁ(TT) 知っていてわざと使うのなら良いのだよ・・・。 でも息子達は同年代の日本人に比べたら遥かに「聞いたり話したり」の日本語経験は少ないハンデがあるのだ。 私の苦労は何だったんだろ、と思う事がこれからどんどん出て来るんだろうな・・・。 知っていてわざと使うのと、知らないで間違いを正しいと信じる事では全く意味が違う。 間違いを正しいと信じていたら、それを次世代に伝えて正しい意味が変わってしまうかもしれない。 私にはそんな日本語や日本文化の歪曲や無知が堪らなく許し難い。 関西弁、例えば大阪弁で話す時100%大阪弁だったら見事だと私は思うし、東北弁、例えば秋田弁で100%話すのならそれはまた良い言葉なのだと思う。 東京弁も方言の一種であって共通語、いわゆる標準語ではないと知っている。 方言はそれぞれが独立した立派な文化であると思っている。 この数日ではコソボの独立問題から政情の不安が高まるバルカン半島あたり、しいてはアメリカとロシアや中国との確執が心配で不安になる。 一方では暫定税率の問題や偽表示の食品から農薬入り中国製食品まで、周りには腹立たしくなったり恐ろしくなったりする事実がてんこ盛り状態だ。 それでももっと身近で目前にある言葉や習慣に対してどうにもならない憤りを感じている。 古いとか固いとかじゃなく、正しい日本文化の継承は歌舞伎とか茶道とかばかりじゃなく日常生活の中に散りばめられているものだ。 帰国してからすっかりテレビ婆になっている私には、毎日のメディアがばらまく間違いやだらしなさが堪らない。 自分達の影響力を理解しろ、と言ってもそれを理解出来て訂正出来るだけの一般常識を持たない人たちが「業界人」に多いのだと感じる。 グルメ番組で食べて感想を言う役には「箸をちゃんと持てる者だけ出演させるべきだ」 口を開けたまま物を噛む人も食べるシーンのある番組に出すべきではない。 アナウンサーやニュースキャスターと呼ばれる者たちには共通語を徹底して教育するべきだ。 同じく彼らには敬語に関しても徹底的に教育して間違えないように使わせるべきだ。 子供達が小島よしおを真似してオッパッピー言う事なんかを教育委員会が文句言うよりも、箸の持ち方徹底させる方がずっと大切なのに・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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