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カテゴリ:気持ち
3年前の今日、私は足掛け26年に亘る海外駐在生活を終えて完全帰国した。 1980年の8月に生後10か月の長男をおんぶして、3か月先に渡米した夫の待つ、アメリカ合衆国東海岸のニュージャージー州へ旅立った 1990年暮れぎりぎりに、二男三男を産み三人の子育てに楽しい思い出を一杯作った国を離れ、新年を実家で迎えた後、再び3か月先に出発していた夫の後を追い、まだ返還前の香港へ1991年1月5日に渡った。 渡港後すぐに始まった第一次湾岸戦争のせいで、観光客が殆どいないひっそりとしたような香港で、第二の生活を始めた私達だった それ以来3年前に帰国するまでの16年間を香港で暮らし、成長する子供達それぞれが高校を卒業して大学へと渡米し親元から離れ独立し、夫と二人で始まった生活が少しずつ増えて5人になったのに、再び二人に戻っての帰国となった。 昔から子供が苦手で、どうやって我が子を育てるのかと不安であった私だったけど、いざ子持ちになってみたら可愛くて楽しくて面白くて大変で子育てする日々は瞬く間に過ぎて行ったように感じる。 夫婦二人だけの生活に戻るとは、それ相応に年齢を重ねたと言う事である。 子供達がいた空間は思いの外広く、がらんとして誰もいない部屋にただ陽が差し込んでいる状態は、寂しくて堪らない光景となって目に映ったものだった 長い間忘れていた故郷のざわめきや人々の姿が迫り、帰りたい、戻る場所はただ一つと思い詰める自分に驚いていた。 若い頃は地元の人々の面倒臭さの方が先に立ち、しがらみの無い海外での生活に快適さしか感じられなかったので、そのままずっと永住して日本へは帰らなくても構わないくらいにしか考えていなかったのに・・・。 インターネットで日本とのやりとりが始まり、知りたい情報を手にした時更に故郷恋しい気持ちが募り、繰り返す度々の一時帰国の間でも、もう香港での暮らしが苦痛になって来ていた。 それでも夫が会社を引退するまでは、日本と香港とを行ったり来たりする生活でなんとかしのいでいたけれど、とうとう3年前の今日、3月31日がやって来たのだった 今の家に住むようになって3年、ここにいる喜びを毎日飽きもせず感じている 夢にまで見た故郷の景色の中を歩いている自分をしっかりと感じる時、季節を愛でる喜びと、今の自分の境遇を有難いと思う気持ちで一杯になる 一日が別に何と言う事無く過ぎてしまっても、その満足感はちっとも減りはしないのだ 毎年この季節になると、帰国した折に買って帰った日本の風景の写真集で桜を眺め溜息をついていた 思い起こせばあの頃は随分と寂しくて我慢していたとしみじみ思う ベランダから眺める月が同じなのに日本とは違うと嘆いた夜がたくさんあった 恋い焦がれる故郷への思いは、次から次へと心の底から湧き上がって来ていた 故郷を離れたからこそ感じるようになった郷愁の思い 私の場合かなりそれが強かったのか、あまり拘りの無い性格の夫を引き連れて、とうとう自分の地元へ帰って来てしまった 東京の北の外れの密集してごちゃごちゃした街が私の生まれ故郷だ そしてその一郭にある狭くて小さい家が、長い旅を終えてようやく掴んだ私の「居場所」なのだ 願わくば本来の意味の故郷を持てない息子達の心の拠り所となって欲しい 今日という帰国3周年の日を迎えて、つくづく幸せな自分を噛みしめている事を、記念に書いておこうと思った日記になった 内容はもう何回も書いた事だけど・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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