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なんだかとっても過ごし易い夏だね今年は。 今午前2時なのだが、外からは秋の虫の声が涼し気に聞こえて来ている 今日やっと長男夫婦がアメリカに旅立って行った これからの2年間、ニューハンプシャー州のハノーバーというド田舎の大学町でMBA取得の為に大学院のビジネススクールに通う予定だ。 さすがに大学院になると妻帯者も多いので、学生用アパートにも家族用があり、家族の為の様々なコースがあり英語はもちろんお料理から各種スポーツや色々な講座も用意されていて面白そうだ 医療施設も何もかも素敵に整っている場所なので、環境の違い以外は何一つ不安材料のない事が嬉しい 今朝やっと出発の時を迎え、二人は満面の笑顔で日暮里からスカイライナーの乗客となって成田へ向かった。 この10日間程、今まで住んでいたアパートを完全に引き払う為、売れる家具類はとにかく売りまくり、送って取っておいてもらう物を我家や私の実家やゆりりんの実家の高知にまで送り、捨てる物は例えば古くなった安いタンスなどは壊して切って捨てられる大きさにしたり・・・・本当に毎日のように荷物に埋もれてのてんやわんやに私達も巻き込まれていた 一日で一番暑い午後の日差しをモロに浴びながら、ほぼ一日置きに息子達のアパートに向かい、夕方にはやっと持てる程の重い荷物を両手に持って汗だくになって帰宅した 電車に乗ってしまえば楽なのだけど、渋谷駅で東横線から埼京線に乗り換えるには約200mもの通路を歩かなくてはならない 夕方になればラッシュにも遭った、お盆休みが多い時は家族連れで混雑していたりもした 家に辿り着くとぐったりしてしまう程体力を消耗した日々だった 捨てる事がどうしても出来ないけど、2年と期限のある留学へ持って行かれる訳でもない・・・そんな「思い出の物」や帰ったら使う物など、ちょっとだけ使った為蓋が開いている調味料など、とにかく随分貰ったので、狭い我家はますます狭くなってしまったぞ 私達が海外引っ越しを経験した時は飽くまでも駐在員だったので、今更ながら会社が間に入っての引っ越しは楽だったのだと思い出される。 今回の引っ越しで長男はダンボール十数箱を自費で郵パックで送る事にした為(一番安かったんだって)企画サイズの箱はあまり大きくなくて苦労していたようだ。 こんな様子でしょっちゅう長男に会う事になった。 普段だったら3~4ヵ月に1回くらいしか会う事が無かったのに、まるで怒涛の日々でそれなりに楽しい時間だった 10日から3日間は高知からゆりりんのお母さんであるクニタン(クニリン改めちょっと呼び難かったので)が手伝いに来てくれてかなり助かったようだ。 私はとにかく片づけや掃除が大嫌いで苦手なので、早々にゆりりんに手伝いに行かないから存分に頑張ってねと宣言してあった いくら仲良くしてくれていても、やっぱり夫の母親が引っ越しに際しアーダコーダ手だの口を出していたら絶対にやりにくくて可哀想だから丁度良いかなって思っていた。 クニタンが泊りがけで来てくれたので最良の方法になったねって満足している その代わり荷物を運び出しに往復する度に、夫はこういった事が結構好きなので棚を分解したり捨てるタンスを次男と一緒に細かく切り刻んだり、その後数日間筋肉痛になる程頑張って働いてくれた 久し振りに長男と二男と夫があれこれ作業をしている光景を見たら嬉しくてしょうがなかった 以前はここに三男も混ざり、色々な事を男共がやっている嵩高い賑わいを、一歩離れた位置から眺めているのがとっても好きだった私である 結婚式以来会っていなかったクニタンを交えて久し振りに飲んで食べてしゃべってと楽しい時間を過ごせたのはラッキーなおまけだった 結婚前から子育て中も通してずっと教職にいたクニタンは、来年の3月には辞職して、そろそろ自分の時間を持って新しい人生を始めてみようと思うと言っていた。 退職したら遊ぼうねって言ってくれたのがとても嬉しかった 13日に高知へ戻るクニタンと別れる時、ゆりりんと二人で泣いてしまったそうだ 一緒にお風呂に入ったり、いつも仲良くて姉妹のようだと言われている親子だからきっと寂しさは大きいと思う。 うちの長男は、こればかりは日本人離れした独立心の強い奴だから、親が心配でしょうがないとか別れが悲しいなんてこれっぽっちも思ってない(笑) 男女の違いもあるだろうが、あちこち行ったり来たりして育って来たので、ネットさえつながれば距離なんてあまり関係ないという雰囲気の家族になってしまっている 今日ようやく出発の日を迎え、二人は疲労困憊の様子だったけど、新しい生活に向かって満面の笑顔で旅立って行ってくれた 日暮里駅でゆりりんを「楽しんでおいで」とぎゅっと抱きしめて頭を良い子良い子と撫ぜてあげた 可哀想に本当ならクニタンにこの場にいて欲しかっただろうし、クニタンだって見送りたかっただろうと思ったので、クニタンの気持ちになって抱っこしてあげて来た 3ヵ月前に渡米している夫の元へ、私が生後10ヵ月の長男をおんぶして成田から出発した時を思い出す。 あの時両親はとてつもなく悲しかった事だろう。 夫に遅れての3ヵ月間、はいはいからつかまり立ちしてつたい歩きを始めた一番可愛い盛りの長男と私は実家に住んでいた。 毎日そんな赤ん坊との楽しい生活をしていたのに、解ってはいてもいきなりいなくなってしまい残された両親はどんなに寂しい日々を過ごさねばならなかったか・・・。 しかし時間と慣れとは不思議なもので、やがて私達家族がいないのが当たり前になり、会えれば本当に嬉しいけれど、いないならしょうがないという風に達観出来るようになってくれた。 ゆりりんの家族で海外引っ越しをするのは初めての事だから、別れの時点が一番寂しくてしょうがないと思う。 時間の流れが何よりの味方だから、少しずつ慣れて行くだろうが数週間は辛いだろうなぁ・・・ 今回二人はサンフランシスコへ降りて入国審査を通り、国内便に乗り換えてボストンへ行く予定だ。 そこで一泊して次の朝に長距離バスに乗って約2時間(以前のブログで私は間違えて5時間とか書いたかもしれないが、正確には2時間程度だそうだ)で目的地のダートマス大学がある町に着く。 ボストンでは三男が迎えに出てくれる予定になっているので安心だ 長男が遠くに行ってしまうという事よりも、私には長男と三男とが比較的近い場所に住み、ゆりりんを交えての往来が出来るようになる事の方がずっと嬉しく感じられる 大学町は本当に田舎で、近くの大きな街としてのボストンへ、車で2時間の買い出しとかになるそうだ。 遠い地で兄弟が再会する事が親にはすごく嬉しい。 無事到着の連絡は、ネット環境に2週間は入れない長男の為に三男が中継地として働いてくれる事になっている 今度のサンクスギビングとかクリスマスには三男も家族と一緒に過ごせるのかと思うと気持ちが豊かになって来るから母親なんて簡単なもんだ これで長男夫婦と三男は地震に縁の無い土地にいる事になったのだから本当に安心である 次男は引き続き東京にいるのでとても心配だけど・・・・ ゆりりんには色々なアドバイスを沢山してあげたけど、聞くのと実際に見るのとでは生活の違いは驚く程大きいと思う。 全てに驚き、びっくりわくわくどきどきをするだろうと想像して楽しんでいる。 若い二人が頼れる親兄弟親戚が全くいない土地で、お互いに助け合って過ごす数年間は生涯に渡ってものすごく有意義な時間となるだろう。 とにかく目いっぱい沢山楽しんで来て貰いたい。 クニタンが一緒に遊びに行ってみようよ、と誘ってくれている お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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