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カテゴリ:気持ち
ここのところ色々と私事で、あまりのんびりとブログを書く気になれない日々が続いていた。 12月に入り、あっと言う間に年末になっている事に驚く 初旬にさっそくの忘年会があり、久しぶりに会える友人の顔を思い浮かべては気がそぞろで落ち着かない数日を過ごした。 師走の週末の新橋は、待ち合わせの群れが駅前を混雑させていて、もうその時点で気分は飲み会だよと盛り上がる 早くも暮れて真っ暗な空に、新橋駅前のSLからは汽笛とクリスマスソングが流れて、飾る電飾も賑やかに点滅して楽しませてくれる 日頃地元近辺をふらついているだけなので、久しぶりの夕方の遠出は新鮮なものとなった その次の日は、これまた久しぶりに専門学校時代の仲間との昼食を予定していた。 待ち合わせの11時に新宿へと再び連日の遠出(笑)となった しかしそこで待っていたのは声を失うような知らせだった 前日の夜まで昼食会の確認でメールをやりとりしていた仲間の一人が、当日の朝まとめ役の友人に電話をして来たのだ。 前夜遅く、彼女のご主人が忘年会の帰りに突然倒れ、救急搬送された先の病院へタクシーで駆け付けた時には既に亡くなっていたとの悲しい知らせ あまりにも身近に起きた突然の不幸に、話す言葉も無くただただ友人の悲しみを思い胸が一杯になるだけであった 数時間前に普通に出かけて行った姿を見送っただろうに、それが最後の別れになるなんて信じられず深い慟哭に身を割かれる思いだろう。 たった数時間で生活が、人生が、来る筈だった普通のクリスマスやお正月が・・・全てが変わってしまった大きな変化を、どうやって乗り越えるだろう。 幸い彼女には成人した息子と娘がついているから、きっと母親を支えて行ってくれるだろうとは思うけど、あまりにも悲しい別れに落ち込んでしまわないか心配でしょうがない。 実は我家でも生活が一変してしまうかもしれない危機を身近に感じて過ごしていた 夫が大腸の検診でひっかかり、再検査を2回繰り返し、最悪の場合非常に悪性の病気が疑われる状態にあった。 最終的な細胞診断まで行ったのだけど、今日がその結果を聞く日だった 待たされる事3時間、ようやく順番が来て聞く事が出来た結果は「悪性の細胞や変成した細胞は見つかりませんでした」というものだった 今日までの日々、毎日心に重い石抱えて落ち着かなかった 普通の(と言ったら変かもしれないけれど)大腸がんではなく、色素の変異があった為、最悪な悪性腫瘍の一種の可能性があるかもしれない、と言われて本当に恐ろしかった 全てが激しく変わってしまう可能性があると思うと、心に余裕が無くなってしまい、何もちゃんとする事が難しい状態になってしまった。 だからこそ友人のご主人の訃報には、「突然途絶えた時間の流れ」への思いが痛い程伝わって来ていた。 もう素直に楽しめるクリスマスもお正月も来ないかもしれないとか、何回一緒にお正月を過ごせるのか考えなければいけなくなるかもしれないとか、悪い方へばかり考えが行ってしまい恐ろしかった でもそれより何よりも、私に比べたら天と地ほどの違いで、何一つ悪い事をしていない夫が、どんなに大きな不安を抱えているかと思うと忍びなかった それを軽く口にして、大丈夫よとか言えたならどんなに楽だったろう。 あまりにも重い事実があると、簡単に言葉にして発する事など出来ないものなのだと知った。 わがままな私が今のようにのんびり・まったりと静かな幸せを感じる生活をしていられるのも、すべて夫がいて守ってくれているからだと思う 派手ではないけれど、自分の価値観内で限りなく幸せを感じて日々生きていられるのも、夫がいてこそなのだとつくづく思う。 成人した子供達は今だって宝物だけど、それぞれが自分の人生を歩くようになり巣立った今、私にとって一番大切にしなければならないのは夫なんだろう・・・ 日頃こき使って我まま言って好き放題させて貰っているけれど、こんな私を支えてずっと生きて来てくれた人なんだから もしも、もしもって考えたら、本当にどうしたら良いのか解らなくなってパニックになりそうだった日々 子供達にはメールで私の不安と恐怖を訴えていたけれど、夫の前で前にして私が取り乱す訳にはいかないから、夜寝付けなくても何も考えたくないからゲームばかりしてごまかしていた 楽しかった時、感動した時、驚いた時、そんな日々起こる小さい感情を一番伝えたい相手が夫なのだと思う。 テレビを見て同じところで笑ったり怒ったりしたい相手も夫なのだ。 子供の事や吟の事、日常が全て同じ観点で自分と同化した存在で生きている、当たり前だからこそ言える「空気みたいな存在」という大事な言葉。 病院で夫と一緒に医者に会って説明を聞き、安心して二人共ホッとした、なんてもんじゃなかった 外の景色や光がすら違って見えるくらい新鮮に感じた お祝いしたい気持ちで、(カロリーを気にせず)王将で餃子を二人で一杯食べてしまった 重くのしかかっていた雲が晴れたら、これから来る年末の行事が音を立てて耳に迫って来たようだ 年賀状も書き終えなけりゃいけないし、急に忙しくなって来そうだ 年末に祭り関係の忘年会がもう一つあるのだが、これは思う存分楽しめるだろう 今回の事件で夫をもっと大切にして優しく扱ってあげなくちゃいけないな、と反省した私 でもきっと数日したら、「喉元過ぎれば・・・」で再び我まま言い放題に戻っちゃいそうなんだけどね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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