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カテゴリ:気持ち
去年1人で行った権現堂堤に、今年は夫をようやく連れて行く事が出来た。 去年、行く途中で理由は思い当たらないが決別し、私1人で出かけた場所である。 参考幸手、春の原風景(2009) 再びの見渡す限りの桜と菜の花 この景色に説明は何もいらないと思う 実際この場に立つと声を失う 堤の上は、重なり合う桜の枝がどこまでも続いている 都内よりちょっとだけ開花が遅い幸手市は、昨日が偶然にも最高の花見日和で満開状態だった 平日だけどかなりの人出があり、今週末の混雑は相当なものになるだろうと思われる。 東武日光線幸手駅から歩いて約30分、駅からは権現堂堤までのさくらバスが出ていたが、良い天気の中散歩がてら歩いて行った 旧日光街道は、我家の目下を通る岩槻街道と同じ街道(呼び名が何通りかある)で、将軍が日光参内の折に行列をした道。 新しい大きな通りと違い、鄙びた仕舞屋が並んでいたりして賑わいには遠いけど何故か懐かしい雰囲気がある。 権現堂のさくらまつりに因んでこんなのを売っていた。 餡がぎっしり入った桜の香りがいっぱいの餡パン、美味しかった 町でみかけた消火栓マンホールの蓋。 下水道のマンホールの蓋にもさくらが満開 今年は何時になく桜を満喫しているような気がする。 春は落ち着かない、家にいてこの時期が過ぎてしまうのがもったいないし残念でしょうがないからだ。 桜を初めとする花や萌える若芽を確認しないといけないような気になり、家にこもる事に罪悪感すら感じてしまう 幸い今年は花の時期が例年より長めなので、あちこちに出没して日本の春を体感出来る今の境遇を謳歌している。 先週の日曜日には、実家の地元町会祭関係での花見があり、これが唯一飲み会形式の花見だった 最近は飲む機会も量もガクッと減っているので、時間をかけてゆっくり飲むよう心がけている 缶チューハイ9本くらいで気分良くおしゃべりや笑いに包まれて来た(もちろん桜も見たし) 火曜日の素晴らしく暖かかった(暑いくらいだったけど日は、父を車椅子に載せて花見散歩に行って来た 西ヶ丘の国立スポーツ科学センター(オリンピックの強化選手達が合宿したりする)付には昔から桜並木が多い場所で、近隣住宅地の中にもその並木がずっと続いている そんな街並みを抜け、赤羽自然観察公園まで父を初めて連れ出した。 里山再現を目指している赤羽自然観察公園。 家を出る前は面倒臭がっていた父だけど、こんな外出は今までしていなかったので非常に喜んでくれた。 旅行に行ったり、結婚記念日の写真を撮ったり花見散歩に連れ出したり・・・なんだか思い出作りを急いでしておかないといけないとでも感じているのだろうか、と自分で不安になる それでも喜ぶ父の老いた笑顔は明るく優しく、行って良かったと心から思えるのである。 自分がいなくなったらこの日を思い出すだろうなどと、父も言うのだけれど、確かにこんなに老いて来たならそれはしょうがない事実なのだろう。 親を何時か送るのが子の仕事。 親に送られるのではいけない。 あとどれくらいの時間が父に残されているかなんて誰にも判らない。 1年無いかもしれないし、以外と10年あるのかもしれない それでもパパっ子だった私が(小学校6年まではパパママと呼んでいた私、中学からはいきなりお父様お母様に変えられた)、こうやって父と二人で春を一緒に楽しめるのが心から嬉しい。 桜の花は一斉に咲いて、散る時も一斉だから潔い生き方に昔から例えられている。 でも散るという事ばかりを言ったら桜が可哀想だと思う。 枯れ木のようだった冬を過ぎ、そのまま一度に花が満開になる驚きに、花にばかり目を奪われてしまいがちである。 でも花が終わる寸前から、若く柔らかな芽が盛んに伸び、その成長の速さと言ったら本当に驚く程の逞しさだ。 一斉の花が過ぎれば一斉の萌芽があり、夏の強い日光は強い葉によってしっかりと遮られ、秋には美しく紅葉して一代のシーズンを終える。 しかし季節を忘れる事無く必ず春には再びの満開を誇らせる桜、こんなに生き生きとした生命力感じさせてくれる木は無いと言っても良いのに、散る桜に散る命を重ねて考えるなんて桜に気の毒過ぎるように思う 満開の花を見上げると、幾重にも重なった花弁を万朶の桜と呼んだ意味が判る。 終戦間際の特攻隊には「万朶隊」などと名前を付けられて、死地に追いやられた若者達がいた。 最後の片道フライトに出発つ時に、満開の桜の枝を後部座席に積んで飛んだ機もあった。 桜をそんな悲しい例えに使ってはいけない 生命を謳歌して花や葉を次々と成長させる桜に、強さと素直さを感じて欲しいと思う。 つながる命を見つめて欲しい。 明日こそ石神井川に舞い散った花弁による、花筏を見に行って来ようと思っている。 それで私の今年の花見騒擾が終わりになる筈だ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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