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くりごと

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2011年03月14日
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カテゴリ:気持ち


あまりにも凄さまじい惨事に言葉がありません。

想像を絶する光景にひたすら胸が痛みます。

沢山のコメントをいただいた香港への旅のブログですが、今はとても能天気な返事を書くことができません許してね。

ごめんなさい、でも書き込みは何時も本当に嬉しくて、大切にしています。






11日は午前中仕事でした。

何時もより早目に家を出て、新型新幹線のはやぶさを撮ろうと夫も一緒に北とぴあ(王子にある)に行きました。

家からだと防音壁に邪魔されて、車高のひくいはやぶさを上手に撮れない為でした。

良い天気で明るい日差しに春が来つつある事を実感するような朝でした。

このまま時間が平和に流れるはずだったのにね・・・。






午前中に仕事を終えて午後は実家に向かう予定でした。

3月11日は両親の結婚記念日、それも今年は60周年だったので記念写真を撮ってあげるつもりでした。

父はデイケアに行っていて3時過ぎに戻る予定。

父が帰る前に着いてて迎えてあげようと、実家に入ったのが2時45分ころでした。

居間に入って戸を閉めたのにガラス(戸にはめ込まれてる部分)がガタガタ言うので、何だろう風かな?・・・と不思議に思った瞬間、家が揺れ出しました。

かなり大きな横揺れ!

母と手をつないでベランダへの出口のガラス戸を開けて立ちました。

地震を怖がる私を母は大丈夫、外へ飛び出すと瓦が落ちてきたら危ないからここで待機しようとなだめます。

でも、もう終わるだろうと思っても、揺れは更に大きくひどくなり全く止まらないのです。

周りの家からもがたがたものすごい音がしています。

どうしたら良いのか判らずただ怖くて怖くて震えていました。

随分長い地震でした、一生終わらないのではないかと思うくらい長く感じました。

母がかなり冷静だったので救われました。

一人でいた時だったら、と思うと怖くて堪りません。






揺れが一応収まった時すぐ次男に連絡しましたが、携帯は全くつながらない状態でした。

その時は夫は後回し(爆)

実家の中では物が棚から落ちたりありましたけど、それ以外はお皿が一枚割れたのみで被害らしきものは見当たりません。
(次の日に再び行って2階へ上がったら凄い事になってましたけど)

デイケアに行ってる父はヘルパーさんや職員が一緒ですから、きっと大丈夫だろうと信じていました。

猛烈に心配になったのは家で一人で留守番中の猫の吟の事!

家自体が潰れているかもしれない不安と、吟がどうなっているかの心配でいてもたってもいられなかった私は、父の帰りを待たずに帰宅する事にしました。





この時点でテレビでは津波が発生した事は伝えていましたが、詳細は判らずあまり大惨事になっているような気配はありませんでした。

家まで歩いて10分程の道のりはとても長く感じました。

余震があったのでしょう、沢山の人が家から出ていました。






家が見えた時、崩れてなかった事にほっとしたのですが、玄関の中がどうなっているか判りません。

ドアを開けた途端に怯えた吟が飛び出したらいけないと、注意してそうっとドアを開けてみました。

何時もなら階段の上やドアのすぐ近くで迎えてくれる吟の姿はどこにもありません。

下駄箱の上に飾っていた人形が一つだけおちていました。

リビングを開けると、戸棚のガラス戸が開いていくつかのグラスや写真立てが割れて落ちていました。

ガス台横にあったスパイスラックが倒れてごちゃごちゃになっていました。

2階に行くと寝室前の廊下にあった本棚が倒れて散乱しています。


jishin
揺れの方向で、倒れた棚と大丈夫だった棚と違いが出ていた。


本を乗り越えて吟が留守番していた猫ベッドの辺りを探してもどこにも見当たりません。

大声で呼びながら他も全部探したのですが吟がどこにもいないのです(@@;

もしかして本棚の下敷きになっているのか、と名前を叫びながら探したのですが本棚の下は本だけでした。

ふと振り返った先の箪笥の下から、吟の鼻先がちょっと覗いたのを見つけました!!

かなり恐ろしい思いをしたのでしょう。

箪笥の下の奥の方に、小さく丸くなってうずくまったままいたらしいです。

臆病な吟はちょっとの物音にも驚きます。

それが棚の上から五月人形の入った大きな箱がいくつか落ちたり、家中がギシギシ揺れたりしたのですから物凄く怖かったでしょう。






そんな合間にも何度も大きな余震が襲ってきました。

近くにあった無圧マットの下に頭を入れて耐えるしかありませんでしたけど、本当に怖かったです。

こんな大きな揺れは生まれて初めての経験でした。






携帯しかない我が家では、なかなか人との連絡がつかずに心配でした。

次男の無事が確認出来たのはミクシイのサイトにある「つぶやき」欄でした。

夫とは結局連絡がつながらいまま2時間後に帰宅してようやくほっとできたのでした。

災害地の情報はすぐにはなかなか伝わってこなかったので、この頃はまだ日曜日からの青森旅行はどうしようかね、なんて思えるくらいだったのです。

今考えるとかなり不謹慎でしたよね(@@; でもこんな事になってるなんて全然伝わっていなかったのですごめんなさい(^^;

(そう言えば阪神大震災の時も、最初の頃のニュースでは神戸地方で大地震があって死者が5人出たなんてものでしたよ)








日本は今、想像を超えた状況に置かれています。

その日まであった日本の続きではない時間の日本になってしまいました。

まだM7級の余震が来る可能性が70%もある状態で、今もその大惨事の最中なのだと自覚しなければいけません。

当たり前の時間を過ごして「今日」を迎えていた「筈」の何万という尊い命が、まさに一瞬のうちに払拭されてしまいました。

こんな事があって良い筈が無い事が起きてしまったのです。

亡くなった方々の冥福を心からお祈りいたします。

けれど今はまず、奇跡的とも言える、命が助かった方々の生活を何とか支援していかなければなりません。

あまりにも広大な範囲で被害を受けている為に、一般市民が直接手を出せる援助は限られています。

それでも私たちにいま何が出来るのかを深く考えて行動しなければなりませんね。






ささやかですが節電は一番手近な支援の一つかもしれません。

物資の流通がめちゃくちゃになってしまった為、都内に住む私たちの生活もかなり不便な事が起きつつあります。

でも私たちは温かいお風呂に入る事も、水をふんだんに飲む事も使う事も出来る幸せを自覚しなくてはいけません。

今までとは変わってしまった日本、復興までの道のりは長いでしょうが、人々はきっと再び立ち上がる事が出来ると信じましょう。

それを信じて祈らずにはいられません。






余震だけでなくあちこちで起こり得る大地震を念頭に、少しでも危険を回避できるように身の回りを再点検する事も、ひいては新たに大きな災害を呼びこまないという事での支援と考えたいです。

日本にいる限りどこでも地震の危険が付きまとうのだと、くれぐれも忘れずにいましょうね。

被害にあった方々の苦しみや悲しみが癒える時間がどうか早くやってきますように!








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最終更新日  2011年03月14日 18時46分55秒
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