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ビンラディン殺害のニュースが世界を駆け巡った。 アメリカでは夜中から人が集まって祝杯を上げ国旗を振った。 笑顔でUSAと叫ぶ姿が放映された。 確かに多くの人の命を奪った罪を指導した事は重い。 でも「報復」で殺害という事を単純に喜ぶ姿に違和感を覚える。 「死んじゃえ」、この言葉を絶対に子供達が口にしないように教えて育てて来た。 どんな人であれ「死」を願う事は卑しいと教えて来た。 死刑廃止論者ではない自分への矛盾は感じる事があるけれど、 「言葉は生きる」、だから喧嘩などでも冗談でも絶対に「死ね」を言ってはいけないと・・・。 ビンラディンが殺された・・、素直に喜ぶ姿があさましく映る。 軍の作戦での結果を受け止める姿が「人の死を喜ぶ」形で表現されてしまった。 それでも人の死を喜ぶ姿は美しくは見えない。 報復した事で遺族の気持ちは満ち足りるのだろうか。 日本の震災被害の遺族は自然に報復したら満ち足りるのか、・・・、否! 愛する者を失った悔しさ悲しさは皆同じだろうけれど、 国民性の違いという一言では分けられない違和感に襲われている。 なんか変だよこんなのは。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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