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父の別荘に置きっぱなしになっていた古い茶箪笥。 子供の頃の実家で見慣れた家具でした。 別荘は壁が崩れたりボロボロの状態。 既に泊まれるような場所ではありません。 埃まみれになっていた茶箪笥を、姉夫婦の車で長野まで運んで来て貰いました。 多少ガタついていた箇所を夫があれこれ修理して、 私が子供の頃に描いてしまった落書きも消してきれいに掃除をしてくれました。 戸を全部取り外したりしていた時、取り出した引き出しの奥の板に、 何やら書き込みがあるのが見つかりました 右下側の小さい三段の引き出しの奥にありました。 鉛筆書きの文字のようです 引き出し手前の木が邪魔で一枚の写真に収められず、二枚にしてつなぎました。 「昭和四年三月四日 東京市外三河島町屋九三十番地 〇津家具製作所内 (〇の字が読めない) 市川銀作 (?)」 どうやらこう書いてあるように思えます。 あれこれネットを駆使して出来る限り調べてみましたら、 現在の東京都荒川区町屋にある、区立第四峡田(はけた)小学校のある辺りの住所じゃないかと検討をつけました。 古い東京府や東京市の地図やら、震災復興地図やら戦災地図やら・・・・・、 明治以降の様々な地図を見つけてやっと探し充てて想定した場所です。 古くからある町屋葬祭場と慈眼寺の場所と、道の形から想像して当たりをつけました。 この辺りは戦災で焼けた地域でしょうか。 昭和四年、付近の景色は全く違っていた事でしょう。 頭の中に思い描くその頃の東京下町の一郭。 どんな人が作った茶箪笥だったのでしょう。 どうやって実家に届けられたのでしょう。 そして、この茶箪笥は実家の祖父母の代からの生活をじっと見聞きして来たのです。 作った人はもうこの世にはいないでしょう。 でもその手で作られた茶箪笥は、これからもまだ使い続けられて行きます。 市川さんと言う職人さんの生きていた証がここに残されていました ★どなたか読めない部分の判読が出来ましたら教えてくださいね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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