小泉首相がついに公約を果たし、今日2006年8月15日に靖国神社に参拝した。
その後の小泉首相の発言では、
中国・韓国が反発していることに関しては、「私はいつでも首脳会談を行うと言っている。靖国参拝を行うから首脳会談を行わないというのは良くない。
未来志向で友好・交流を進めていこうと言っている。中国・韓国が嫌がることはするなというのはおかしい。」
A級戦犯が合祀されていることに関しては、「特定の人を参拝しているのではない。多くの犠牲者に対して心から哀悼の念を持って参拝することがなぜいけないのか。」
憲法違反ではとの批判に関しては、「憲法第19条、20条をよく読んでください。神道のために参拝しているのではない。戦争を美化するために行っているのでもない。憲法には思想・心情の自由を犯してはならないとある。私は伊勢神宮には神道形式で参拝している。このことは問題になっていない。」
と述べている。
中国・韓国が反発していることに関してはその通りである。
そもそも中国・韓国が非難していること自体がおかしなことであると思う。
憲法違反に関して、政教分離の観念に反するという反対派の意見があるが小泉首相は神道の為に参拝してるのではないと言っている。問題とするのはおかしなことだと思うが・・・・
さて、靖国問題とは、A級戦犯が合祀されていることに関してA級戦犯の合祀が正しいか否かということに集約されると思われる。(と思っている)
中国・韓国が非難も今はこのA級戦犯の合祀のことをさすようだし・・・
(もしA級戦犯が分祀されたなら次はBC級戦犯を分祀しろと言い出すことと思うが・・・)
神道の観念ではいったん合祀したものを分祀することはできない。
いまだ多くの人が分祀論を支持しているが、そもそも靖国神社には遺骨も位牌もない。
戦争で亡くなった方を英霊として神として祀っているのだから、魂を返せと言ってもそれは出来ないだろう。
なによりいったん神となった英霊を周りがうるさいからと神の座から簡単に卸すことはできないのである。
いまだ多くの誤解があるようだが、分祀というのはローソクの火を分けるようなもので、神様の魂のコピーを作って新たに祀ることを指す。
魂は元の神社(靖国神社)にも新たな神社(追悼施設?)にも存在することになるのだ。
同じ神を祭る神社が各地にあることで分かる様に決して元の神がその場所から消えるわけではない。
私感を言えば、A級戦犯の分祀は反対である。彼らはすでにA級戦犯ではない。
死してなお唾を吐きかけるというのは中国の文化であり、それを日本人に押し付け政治利用しようとする中国という国に疑問を感じる。
またA級戦犯がどのように裁かれたかを考えるとA級戦犯を戦争犯罪人とは定義できない。
だがいわゆるA級戦犯を靖国神社に合祀してしまったことには少なからず疑問も感じている。
靖国神社に祀られるべき英霊は戦時中に戦地で亡くなった方々に限られるはずである。
いわゆるA級戦犯たちは自分達が靖国神社に祀られるとは夢にも思っていなかった。
彼らは決して東京裁判を認めていなかったが、国民に対して謝罪するためあえて死刑になることを拒まなかったのだ。自分が靖国神社に祀られることを決して望んでいないと思う。
過去の戦争において日本は過ちを犯した。紛れもない事実であろう。
その過ちを全て戦犯と呼ばれる人々に押し付け平和論を論ずる人々がいることは残念だ。
なぜ戦争は起こってしまったのか?中国のいう日本軍の残虐行為は本当にあったのだろうか?戦争をなぜ止めることは出来なかったのか?
はたして、中国・韓国への謝罪はいつまで続くのだろう。
はっきりと言っておく。
日本人自身が過去の戦争を改めて調査し、国民が理解し、そこで得た正しい歴史をはっきりと中国・韓国につきつけない限り、
中国・韓国から日本は永遠にゆすられることになってしまうだろう。