テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:戦争ってなんだったんだろう?
強制的に日本軍として戦わされたとされる朝鮮人ですが、
朝鮮における徴兵制の実施を訴えたのは朝鮮人の朴春琴という人です。 彼は朝鮮人として参議院選にも出馬し、昭和7年と12年に二度当選も果たしています。 彼は朝鮮在住の人々の参政権付与とともに朝鮮における徴兵制の実施を訴えました。 当時の軍部は時期尚早とし徴兵制の実施を渋りましたが、後に志願制を訴えこれを実現させています。 この志願兵の中に崔慶禄とう人物がいました。彼は勤務成績が良かったため陸軍士官学校を受験するよう推薦され、見事合格します。 しかし大戦のさなか士官学校へ行っていては第一線でのご奉仕のときを失うとあえて戦地におもむきました。 ニューギニアに出征した際彼は敵の銃弾を受け重症を受けますが、以前から彼を知っていた参謀長・小野武雄に助けられます。 戦後彼は駐日韓国大使として日韓友好に尽くしました。 彼の言葉です。 「戦前の日本人には、信頼できる立派な人が多かった。それに対して現在の日本の政治家は周囲に気兼ねしてか、正直に本当のことを言う人が皆無に近い。 私がもし日本の首相だったら、一日でよい、洗いざらい本当のことを発言してみたい。 それでやめさせられたら本望だし、それによって国民が目覚め、日本は本来の姿にたちかえるに違いない。」 戦後、インドネシアに残った日本兵がインドネシアの独立の為に戦ったことは知っていますか? 戦争が終了し日本に帰国することが出来たにも関わらず、インドネシアの独立の為に戦った日本兵は2000人、戦死は1000人と言われています。 この中にも朝鮮人がいました。梁七星もその一人です。 彼は終戦後実家に「いま帰国しても仕方がないのでこちらの熱い国にもうしばらくとどまる」と手紙を出し、青木正四郎、長谷川勝雄と共にインドネシア祖国防衛義勇軍に加わります。 青木は「民家のものはけっして奪うな、日本人でも女を襲ったり物品を略奪したら撃ち殺す」と規律を厳格に維持する人物でした。 梁はこうした青木の姿勢とその抱く理想に深く共感しオランダ軍と戦ったのでした。 その後この三人はオランダ軍に捕らえられ1949年八月十日に処刑されます。そしてその4ヶ月後にインドネシアは独立を果たします。 この三人は今でもインドネシアの英雄墓地に眠っています。 このほかにもたくさんの朝鮮人が日本とともにかつての大戦を戦っています。 中には洪思翊のように陸軍中将にまでなった人物もいます。 朝鮮人を強制的に戦地へ送ったっというのは全くのうそです。 かつて朝鮮人は朝鮮人の誇りを持って日本と共に白人絶対主義と戦ったのです。 今やこうした朝鮮人の英雄がいたことは韓国では語られませんし、日本でも知らない人が多いのは残念です。 今、日韓は決して友好的な関係にあるとは言えません。 正しい歴史をお互いに認識し、かつてはお互いに戦友として戦ったことを思いだすべきだと思います。 もちろん韓国に謝罪する必要はありません。 かと言って、韓国を謙韓流のブームに乗って挑発するのもどうかと思います。 日本が韓国を批判すればするほど、逆に反日感情をあおるだけです。 今は正しい歴史認識をお互いに理解するべきだと思います。 今の日本人にとってかつて朝鮮は同胞でした。このような英雄も居ます。 こうした朝鮮人が居たことには素直に感謝すべきです。 もちろん言われもない謝罪はする必要はありません。 今、日本人は先の大戦は自存自衛の戦争であったことを認識し、韓国には感謝の意を示すべきだと思います。 今私達に大事なことは、韓国に対し「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」と言える環境を作ることだと思います。 そのためにも日本国民は誤った自虐史観を捨て、韓国もまた行き過ぎの反日感情を捨てることが必要だと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 23, 2006 05:36:23 PM
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