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カテゴリ:南知多海水浴・内海・師崎・日間賀島・篠島
野間大坊は源氏ゆかりの寺として知られています。客殿には源頼朝公守本尊・開運延命地蔵が安置されています。
パワースポット的な、お砂踏み霊場・良縁をさずかる縁結びの『弁財天』・悩み不眠除け『稲荷』も在りました。独特なスピチュアルな雰囲気がありますね。 大御堂寺(野間大坊) おおみどうじ本堂。 通称 「のまだいぼう」の本尊は阿弥陀如来です。 案内板に書かれていた野間大坊の由来です。 『天武天皇の時、役の行者が草創。聖武天皇の時、行基菩薩が再び開基し、弥陀三尊を守置し、阿弥陀寺と称えた。 弘法大師は当寺に、留錫一千座の護摩供養を修し、鎮護国家を祈った。 白河天皇の承暦年間、一山を再建して勅願寺とし、大御堂寺と命名された。親筆の金字の妙典八軸を納められた。 源義朝公噴死の地で、境内に墓地がある。又、縁結びの弁財天が良縁がさづかる。 建久元年(1190年) 源頼朝公により、守本尊開運延命地蔵菩薩を奉安された。守本尊は定期仏師作で、はじめ平清盛の母の池の禅尼の 念持仏であった。頼朝十三の時、平治の乱に敗れて虜えられ、池の禅尼の命請ひによって助けられた後、天下を治めることが出来た。 その時、禅尼地蔵尊を頼朝公に与えた公は父の廟参の時当寺に納めた。 尚頼朝公相伝の延寿の秘法が当寺に伝っている。』 <大マニ車堂> インドネパールより伝来した般若心経が刻まれています。世界で最初のマニ車です。 「オンマニパドマフン」と唱えながら、釣鐘のようなマニ車を一回まわすと、全ての苦しみから解放されるそうです。 煩悩が多いタチなのか、マニ車を1回転で良いのか、これまた悩みました。(^_^;ゞ <弁財天>良縁と財宝の神と書かれています。元はヒンドゥー教の女神様が、日本で七福神の弁財天となられたようです。 ここは女神様に好かれるようにお参りしましょうね。 「宝くじがぁ・・・・・・。d(>_・ ) ぼそっ。」 <悩み不眠除け稲荷> 不眠症や悩み事、目を守ることもしてくださる神様です。 悩み事がある人・不眠症気味の人、お参りするとスッキリするかも?朝までグッスリ眠りたいですね。 <鐘楼堂> 鎌倉幕府5代将軍 藤原頼嗣が寄進した梵鐘です。梵鐘に建長二年(1250年)の銘が有り、国の重要文化財です。 写真では日陰になって見えないけど、上部に鐘が吊るしてありました。 梵鐘の左横には、平判官康頼(たいらのやすより)の御墓があります。平康頼は、敵将である源義朝の墓を見栄えよく再建し、お堂を建て、水田三十町歩を寄進しました。平康頼は武士の鑑とされていました。 源頼朝公建立大門 建久元年、頼朝は父の菩提のための寄進を行い、自らの守本尊である地蔵菩薩像を安置したそうです。 頼朝は愛知県名古屋市熱田区にある誓願寺で生誕しました。母親は熱田宮司家の出です。 源頼朝の父、源義朝(みなもとのよしとも)の墓があります。 義朝は、平治の乱で敗走し家臣の長田屋敷に匿われていましたが、長田忠到・景致親子の裏切りにより、入浴中に討たれ、「我れに木太刀の一本なりともあれば」討たれなかったのに・・・と悔やんだとされています。 『源義朝公御廟由来』には、「木太刀ご奉献の方はすべての願いが叶うといわれています」と書かれていました。ご利益があるのでしょうね。 頼朝は、父義朝と供に敗走中はぐれて平家に捕まったが、平清盛の継母・池の禅尼(いけのぜんに)が、頼朝が亡息子に似ている事から、清盛に命乞いをしてくれ助けられています。 その際、池の禅尼は自分の念持仏であった、開運延命地蔵菩薩を頼朝に与えました。この時の事を頼朝は大変感謝していたそうです。 後に、頼朝は野間大坊へ父の墓参りに訪れた際に、その自分の念持仏となった、開運延命地蔵菩薩を寺に奉納しました。 義朝御墓の横に、池の禅尼の御墓があります。頼朝もしくは関係者が、命の恩人・池の禅尼に感謝して、父の墓の近くに御墓を立てたとされています。 織田信長の三男、織田信孝の御墓もありました。 信長の死後、美濃岐阜城の城主となった信孝は、柴田勝家・滝川一益等と共に、(羽柴)豊臣秀吉に対しますが、ここ野間の地(安養寺)で切腹をさせられています。 信孝が秀吉を恨みながら残した辞世の句、 「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいを待てや 羽柴ちくぜん」 うつみの内海は「打つ身」に掛けてあるそうです。 「平治の乱」が元で、源義朝の長男と次男は没。三男の頼朝(13歳)は伊豆へ流刑。九男の義経はこの時2歳で鞍馬山へ預けられまた。 命を助けられた頼朝が、後に平家を滅ぼし、鎌倉幕府初代征夷大将軍となるとは、予想できなかったでしょうね。 近くには、義朝が命を落とした湯殿跡、義朝のお首級を洗ったとされる血の池、後に源頼朝が亡父の菩提を弔うためにこの地を訪れ、長田親子を磔にした松の木があります。ちょっと惨忍な感じで写真が撮れませんでした。 本四国八十八ヶ所お砂踏み霊場> 写真向こう側が大坊本殿です。義朝公最後の絵解・ご祈祷・朱印帳はここです。 弘法大師(空海)が鶴林山野間大坊で護摩供養された。 知多四国八十八ヶ所51番。 弘法大師の故郷は四国の香川県ですが、四国霊場を回るのが困難な方は、知多の新四国を巡れば、本四国参りした事になるそうです。 “お遍路さん”は、不安や迷いから解かれて悟りが開けるのかな。 巡拝路を通ります。 野間大坊住所:愛知県知多郡美浜町野間東畠ケ50番地 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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