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カテゴリ:大府/東浦/東海/半田/知多
○郷土産業の生き証人 半田赤レンガ建物は、明治31年(1898年)、丸三麦酒株式会社のビール工場として誕生し、「カブトビール」として全国に送り出しました。 キリン、サッポロ、アサヒといった大都市メーカーが、すでにシェアを占めていた時代に、地方都市半田から果敢に挑戦を仕掛けたのです。建物の規模と構造的工夫の見事さは、半田の先人達がビール製造に込めた心意気を雄弁に物語っています。 ○希少なビール工場の遺構 建物は、明治建築界三巨頭の一人、妻木頼黄により設計されました。現存する代表作品には横浜正金銀行本店(神奈川県立歴史博物館)、横浜新港埠頭倉庫(現横浜赤レンガ倉庫)、東京日本橋(装飾部設計)などがあります。 安定した温度と湿度を必要とするビール工場ならではの特徴的な構造を持っており、二重から五重の空気層を有する壁(複壁)や、多重アーチ床(断熱耐火床)など、外気を遮断し、低温を保つ工夫が随所に見られます。 ○戦争の傷跡 建物北面には、戦争の傷跡が生々しく刻まれています。 第二次世界大戦中、中島飛行機製作所の衣糧倉庫として使用されていた半田赤レンガ建物は、昭和20年(1945年)7月15日、小型戦闘機ノースアメリカンP51から超低空での銃撃を受けました。北面の壁を見ると多数の機銃掃射の弾痕を確認することが出来ます。 明治30年(1897年)9月1日起工。明治31年(1898年)10月31日竣工。 基本設計者 ドイツ・ゲルマニア機械製作所 実施設計 妻木頼黄 施工 清水組(現清水建設株式会社) 高さ21M地上5階建煉瓦造(イギリス積、一部長手積) 平成16年登録有形文化財(国)に登録。平成21年近代化産業遺産(国)に指定。 所在地:愛知県半田市榎下町8
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最終更新日
2021/10/21 03:42:32 PM
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