|
テーマ:=愛知=(477)
カテゴリ:大府/東浦/東海/半田/知多
木が生い茂った台地が大草城址でした。現在は大草公園となっています。
大草城天守閣を模した展望台からは、伊勢湾が見えます。 大草城址からは遠方高台に大野城跡が見えました。ん?写真だとウォーリーを探せ!みたい。中央やや右よりです。 大草城址の由来(案内板より) 大草城は、織田信長の弟で、後に茶人としても名を挙げた源吾長益(有楽斎)が、築城しようとして途中で断念した“幻の城”である。 矢作川とその支流の流域からなる大野谷、(現知多市の南部と常滑市の北部地域)を拝領していた長益は、大草の地に城を築き始めた。 しかし、天正十年(1582)に本能寺の変で信長が暗殺され、長益も天正十二年(1584)の長久手の合戦後、しばらくして秀吉に仕え、摂津国味舌(現大阪府三島郡三島町)に転封された。 このため、地形(ちぎょう)などの普請が大体終わったところで放棄され、廃城となり、幻の城と呼ばれるようになった。 ともあれ、西は伊勢湾が迫り、南は矢田川、東は神田川が流れ、それぞれ外堀の役目を果たし、なかなかの要害の構えであった。 現在、大草城址は、本丸、二の丸と周囲の一塁、堀の大部分が、ほぼ完全な形で残っており、このような城址は、愛知県下でも数が少ない。 このように保存状態がよいのは、尾張藩の徳川義直、光友に仕えた重臣、山澄淡路守英龍が大草を給知され、寛文六年(1666)に城址の西南方に屋敷を構えるなど、歴史の支配者が保存に力を注いだためである。 市では、こうした歴史的価値をとどめる城址をさらに保存、広く市民にも憩いの場として開放するため、大草公園として整備。 本丸跡に天守閣を模した展望台を設置したり、二の丸跡に散策道を設けている。施設の保全と管理が行なわれている。 愛知県知多市大草(大草公園) 宿泊予約 | 高級ホテル・旅館 | 航空券+宿泊 |航空券 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/10/21 03:42:46 PM
コメント(0) | コメントを書く
[大府/東浦/東海/半田/知多] カテゴリの最新記事
|