|
テーマ:=愛知=(477)
カテゴリ:岡崎市
大樹寺 松平家(徳川将軍家の祖)、徳川将軍家の菩提寺で、1475年、松平四代親忠が、勢誉愚底上人を開山として建立したものです。松平八代の墓、歴代将軍の位牌、家康73歳の時の木像などが祭られ、多宝塔(松平七代清康建立)は国の重要文化財に指定されています。また、大樹寺の本堂、三門、総門、を通して南方3キロに岡崎城を望むことができます。大樹寺所在地:岡崎市鴨田町広元5-1
松平家九代家康公は19才の時、桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に敗れたので、身の危険を感じ、大高城から大樹寺に逃げ帰り、先祖の墓前で自害しようとした。大樹寺住職 登誉天室上人はこれをとどめ「厭離穢土・欣求浄土」の教えを説き、家康公に浄土念仏の尊さを教えた。それ以来、家康公は熱心な念仏者となり、生涯この八文字を座右の銘とした。この時、家康公を追う野武士の一隊が大樹寺を囲んだが、えんりえどごんぐじょうど「厭離穢土・欣求浄土」の旗を立て、大力無奴の祖洞和尚が門の貫木を引き抜いて奮戦し、敵を退散せしめた。(祖洞和尚は身長2メートル70人力とか。) 大樹寺には、徳川家康公のお位牌が祀られています。家康は、出身地の三河の大樹寺に位牌を祀る事、と遺言した。御墓は岡崎市民により建てられたものです。 本堂と大方丈は安政二年消失したが、安政四年、十三代家定公のとき再建された。 木造阿弥陀如来坐像は京都市東山区泉涌寺山内の泉湧寺(せんにゅうじ)から迎えられました。(泉湧寺の仏殿は徳川家綱の援助で再建。) 三代将軍家光の乳母でもあり大奥統轄した春日局の念持仏 地蔵菩薩像も拝めます。 十三代将軍家定公のとき再建された大方丈の障壁画は復古大和絵の絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)の描いたものが146面あり、重要文化財に指定されています。(冷泉為恭は京狩野の絵師 狩野永泰の三子)。幕末期、佐幕派と思われた冷泉為恭は、高杉晋作らと協力して積極的に尊王攘夷運動を推進していた長州藩士、大楽源太郎(だいらくげんたろう)に討たれた。
えっ、お城は何処じゃ?右上じゃ。。しかもカワイイ幼稚園児が約2名です。。 大樹寺総門(だいじゅじそうもん)3代将軍徳川家光公によって整備された大樹寺から岡崎城までの3キロの直線ラインをビスタラインと呼びます。岡崎城からいつでも大樹寺に眠るご先祖様を拝めるように、岡崎城がご先祖様に守護していただくという信仰の意味で伽藍を整備したそうです。 歴史的景観と風景をこの3キロ間、守り抜くのは大変な事だと思います。建物が建てられませんものね。 「ビスタ」って、トヨタ自動車が生産していたビスタ (Vista)ではなく、眺望、展望を意味する英語なんですね。 みたらし団子めちゃんこウマイがね~(=v=)ムフフ♪。団子は柔らかく大き目で4個。甘辛のタレなんですが、いつも食べている味とちょい違います。大樹寺駐車場にある店です。 宿泊予約 | 高級ホテル・旅館 | 航空券+宿泊 |航空券 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/10/21 02:57:04 PM
コメント(0) | コメントを書く
[岡崎市] カテゴリの最新記事
|