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2011/07/23
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テーマ:=愛知=(477)
黄金堤
吉良上野介義央公の最たる善政は、この黄金堤(こがねづつみ)を築堤した事だと言われています。
当時、吉良町の新田地帯は、増水のたびに上流からの水が押し寄せ洪水に悩まされていました。

吉良さんは、この山間180mを堤防で防ぎ、下流八千石の田園を水害から守りました。
黄金堤の築堤には、領内の老若男女問わず全員が参加し、一夜で完成したと伝えられているそうです。
黄金堤という美しい名称は、吉良上野介公への尽きない思慕から呼ばれています。

吉良上野介義央
吉良上野介義央公(きらこうずのすけよしひさ)
大石内蔵助良雄以下47名の元赤穂藩士らが、吉良上野介義央を亡主の仇として討ち取った事件は「忠臣蔵」のお話として有名です。

『忠臣蔵』では悪役として描かれている吉良上野介義央公ですが、あくまで物語上のことで、悪人であったことを裏付ける資料は残っていません。
地元では領民想いの名君として伝えられており、黄金堤の築造や新田開発、用水路の整備などを積極的に進め、その業績は現在に受け継がれています。
吉良上野介義央公は幕府の要職である高家胆煎を勤め、普段は江戸屋敷で生活していました。
しかし、領地である吉良の土地を訪れた折には、農耕に使う赤毛の駄馬にまたがり、領内の村々を巡検したと伝えられています。
玩具「吉良の赤馬」は義央公の飾り気のない誠実な人柄を慕って、現在も作り続けられています。


像の台座には吉良町出身の作家、尾崎士郎「吉良の男」からの一節が書かれています。
『若くして友情に厚く隣人に慕われ、功成り名遂げた後は善行という善行のかぎりをつくし、人生の行路ようやく終りに近づこうとするに及んで、運命はだしぬけに逆転する。』

吉良上野介の顔
黄金堤案内板に吉良上野介義央公木像(華蔵寺)の写真があった。この温和な顔立ちからは意地悪する人には見えないし、本人も身に覚えのない事としているが、どうなんでしょうね。

<元禄赤穂事件について> 五代将軍徳川綱吉は、朝廷への慣例に重きをおいていた。
江戸幕府は、勅使饗応役として播磨赤穂藩主の浅野内匠頭長矩を、院使饗応役として伊予吉田藩主伊達村豊を任じて、両者の指南役には吉良上野介義央を指名した。

この時の、浅野内匠頭に対する吉良上野介の指導が良くなく意地悪して腹に据え兼ねる事があり事件が起きた。
江戸城本丸松之大廊下において、突然、浅野内匠頭が吉良上野介に対して背後から切りつけた。
吉良は一命を取り留めたもの、幕府は殿中刃傷事件を起こした浅野の即日切腹と赤穂浅野家の改易を命じた。

元禄15年(1702年)、主君に代わって吉良を討つべしと、赤穂藩筆頭家老大石内蔵助良雄率いる赤穂浪士47名(四十七士)が吉良邸に討ち入り、吉良上野介義央は死。
幕府は、赤穂浪士46人切腹を命じ、吉良家改易し吉良上野介の孫であり養子の吉良義周を信濃諏訪藩主諏訪忠虎にお預けとした。


黄金堤・鎧ヶ淵古戦場
鎧ヶ淵古戦場 黄金堤には、鎧ヶ淵古戦場跡の碑があった。
中世、この地一帯は深い溝となっており、背撫山のすそは岡崎街道となっていた。
永禄三年(1560)桶狭間合戦後、今川家から独立した松平元康(徳川家康)は織田信長と結び、祖父清康・父広忠からの深い姻戚関係にある吉良氏を攻めることになる。

永禄四年四月十五日、この街道を中心に吉良方と松平方が激突した。
山腹に兵を潜ませた吉良方の策に陥り、深追いした松平方は淵に落とされて大部分が戦死した。
松平方主将深溝(ふこうず)城主松平好景も、これまでと自刃し、吉良方の大勝となった。
この合戦後、淵の底に沈んだ将兵の鎧や武具が引き上げられられたことから、この淵を鎧ヶ淵と呼び、この合戦を鎧ヶ淵の合戦と称するようになったそうです。


所在地:愛知県西尾市吉良町岡山字鎧



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最終更新日  2021/10/21 02:23:25 PM
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