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カテゴリ:豊明/刈谷/日進/東郷/みよし
沓掛城址(くつかけじょう)は愛知県豊明市沓掛東本郷に所在します。
この城址は永禄3年(1560年)、桶狭間の合戦前夜に、今川義元が宿泊したことで知られています。 本丸とそれをとりまく堀、二の丸、諏訪曲輪が残っており、旧態を良く留めています。 公園の面積は、約1万平米で、整備前は大部分が田園、一部が山林でした。 沓掛城(沓懸城)は、14世紀のころから、近藤宗光を初代として、代々城主であったといわれています。 九代目の近藤景春(こんどうかげはる)のとき、織田信長に謀反し今川に寝返った鳴海城主山口左馬助に、攻め落とされて今川勢に属しました。 永禄三年(1560年)桶狭間の戦いのとき、織田信長が城を攻め落とし、簗田政綱(やなだまさつな)により景春は戦死しました。 戦後、織田信長から桶狭間の合戦の戦功恩賞によって、簗田出羽守が城主となりました。 その後の城主は、織田越中守、川口久助です。 川口久助は、関ヶ原の戦いに西軍石田三成方につき、捕らわれて伊達政宗に身柄預かりの身となり、沓掛城は廃城となりました。 沓掛城址の横に、慈光寺が隣接しています。 簗田出羽守のとき、家臣が戦死者の霊を弔うため寺を建立したそうです。 慈光寺所在地:愛知県豊明市沓掛町東本郷68 「二村山緑地」 藤田保健衛生大学病院の近くに二村山緑地があります。 桶狭間合戦の当日、今川軍は沓掛城から二村山の峠を通って古戦場に向かった、という説があります。 宿泊予約 | 高級ホテル・旅館 | 航空券+宿泊 |航空券 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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