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カテゴリ:大府/東浦/東海/半田/知多
於大公園(おだいこうえん)近くに緒川城跡があります。
緒川城は、徳川家康の生母・於大の方の出生地です。 傳通院 於大出生地碑 傳通院(でんづういん)とは、於大の方(1528年-1602年)の晩年の院号です。 享禄元年(1528年)緒川城四代城主・水野忠政と於富の間に、於大の方は生まれました。 緒川城は、西に織田方、東に今川方の勢力に挟まれていたため、忠政は城を守るため中立を図っていました。 水野忠政は、妻であり於大の母でもある於富を離縁し、岡崎城主松平清康に再婚させました。 於富は絶世の美女だと言われ、松平清康から妻にしたいという願いを聞き入れたとか。 この後、忠政は刈谷城を築き、拠点を緒川城から刈谷城に移しました。 さらに、水野忠政は今川方の松平氏と婚姻関係を結ぶため、 天文10年(1541年)、忠政の娘・於大は14歳のとき、今川方の松平広忠16歳(徳川家康の父)の正室としました。 この婚姻関係は、前年に安祥城を織田信秀(信長の父)に奪われた松平氏にとっても、織田方の水野氏と和睦しておくことが必要だったからです。 広忠と於大は、鳳来山に良い子宝に恵まれるよう祈願し、1542年、於大は後に徳川家康となる竹千代を産む。 ところが、忠政死後に跡を継いだ於大の兄の信元が、織田信秀の旗下に属したため、1544年に於大は離縁され、刈谷城ちかくの椎の木屋敷に3年程住みました。 1547年には信元の意向により、阿久比城主・久松俊勝に嫁ぎ、俊勝との間に三男三女をもうけます。 緒川城址(愛知県知多郡東浦町) 初代緒川城主・水野貞守が文明年間(1469~1486年)に築城して以来、約130年間、水野氏の居城でした。 慶長11年(1606)、最後の緒川城主・水野分長が三河国・新城1万石に移封となり、緒川城は廃城となりました。 緒川城主四代目・水野忠政のときに、尾張国緒川城から三河国刈谷城に拠点を移しました。 緒川城位置推定図です。 この辺りは民家が密集していています。 緒川城碑がある場所は、小さな児童公園となっており、車で通り抜けが出来ません。 於大の方の出生地である東浦町には「於大公園」という大きな公園があります。 毎年、桜の時期には「於大まつり」で賑わいます。 夏はプール、バーベキュー施設も人気があります。 緒川城址も、於大も通った乾坤院も、於大公園の横にあります。 緒川城址所在地:愛知県知多郡東浦町緒川 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/10/21 03:46:09 PM
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