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カテゴリ:岐阜
岩村城址公園・藩主邸跡・歴史資料館・城下町
岩村城登城口にある城山城址公園や藩主邸跡では、当時の図面などから再現された建物や移転した建物がみられます。 岩村城のポスターで使われていた太鼓櫓 右端の櫓は、城下に時を知らせる為の櫓が、昔のままの姿で復元されています。 岩村城には石垣が残っていますが、太鼓櫓はイメージ写真として使われているようです。 岩村城の歴史は、800年ほど遡り、源頼朝の重臣加藤景兼が、この地の地頭に任ぜられ築城してから、鎌倉・室町を経る約400年「戦国の世」まで美濃遠山氏の居城となっていた。 戦国時代には、天下を狙う織田・武田・徳川の接点に位置したこの城は、いやが上にも戦乱に巻込まれ、女城主の登場や森蘭丸の入城、美濃遠山氏本家の滅亡など悲しく華々しい時代を経て江戸の時代に至った。 江戸時代には松平・丹羽など譜代大名の居城として、明治までの300年間「城」が存在すると共に、この東濃地方の中心として城下町は大いに栄えた。 江戸の平和な時代になると、城主が城の山頂(本丸)に住む必要がなくなり、慶長6年(1601年)城主「松平和泉守家乗」は、城の山麓に藩主邸を造営した。 以後ここは政治の中心としての機能を果たす一方、“太鼓櫓”を設け城下に時を知らせ続けたものである。 「時」を知らせるための“櫓”は、庶民と殿様との深い絆を象徴する建物である。 作ろまいか女城主の里事業 「今、岩村町が進めている、遠大なふるさと創生事業「作ろまいか女城主の里事業」のモニュメントとして相応しい建物であり、「作ろまいか女城主の里事業」は、現在各地で造られている鉄筋コンクリート製の城など偽せ物ではなく、あくまで“本物の城復元”を主体に、超長期計画により城全体や城下町を復元・再現する計画である。」 岩村歴史資料館・民俗資料館 県の重要文化財に指定されています。 岩村藩の歴史資料を多く収蔵し、民俗資料館を併設しています。 岩村藩校知新館正門 知新館は元禄15年(1702年)藩主松平乗紀(のりただ)によって創立された。 岩村藩は2万石(のちに3万石)という小藩でありながら、有能な藩士の育成を図った。 この精神は脈々と受け継がれました。 江戸末期に日本の学問をリードした林述斎、佐藤一斉、明治から昭和にかけて教育家であり歌人、後に日本女子教育の先覚者となる下田歌子、植物学の基礎を築き桜と花菖蒲の研究における世界一人者で天然記念物の保護を提唱した三好学などの偉人が出ています。 佐藤一斉翁像 佐藤一斉は、幕末の大儒学者で日本の孔子ともいわれる人物。 「志こそが人間のレベルを決める!」といい、志を養うべきことを説きました。 随想録「言志四録」は指導者の座右の銘としても親しまれています。 城下町の途中風景 お食事処、喫茶店、手づくり特産品、宿泊施設などがあります。 岩村山荘 ラジウム温泉。日本三大山城の1つ岩村城址の山裾に建つお城のような宿。地元名物料理と心をこめたおもてなし。「お客様は全て城主様」[最安料金(目安)10,500円~] 明知鉄道岩村駅から城下町を通り、太鼓櫓・岩村資料館の広場から、本丸に向けて行く行程ですが、坂道が延々と続きます。 車であれば、駅の近くと資料館と本丸すぐ下に駐車場があります。 岩村城下町のマンホールの蓋。小判には見えないか~。 岩村城所在地:岐阜県恵那市岩村町字城山 電車で行く場合 JR名古屋駅からJR恵那駅まで60分。 恵那駅より明知鉄道にて約30分・岩村駅下車。 車の場合 名古屋ICから恵那ICまで50分。 中央自動車道・恵那ICより国道257号にて約20分。 ビジネスホテル | カップルステイ | 家族旅行 | ペットホテル | ANA+宿泊 | JAL+宿泊 |航空券 | 高速バス | レンタカー | ディズニーホテル | いい湯だな♪温泉宿予約 | 岐阜県のホテル・旅館 | お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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