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カテゴリ:滋賀・福井
丸岡城を築いたのは柴田勝家の甥、柴田勝豊。
天正4年(1576)豊原より丸岡に移り築城し、4万5千石で入城しました。 丸岡城 国の重要文化財に指定され、別名『霞ヶ城』と呼ばれています。 日本の名城100選にも選ばれ、日本に12しか残ってない木造天守閣の中でも最も古い天守閣です。 屋根は石瓦で葺き、基礎の石垣は野面積み、これは我が国城郭建築史上、現存する天守閣の中で、最古様式のものです。 丸岡城 城内の様子 とても急な階段を上ると、見晴らしの良い木造の部屋に上がります。 階段の綱が垂直なのは、先客が降りているので引っ張られているからです。 丸岡城の鯱 微笑ましくって、なんだか笑えてくる。 この鯱(しゃちほこ)は、もとは木彫銅版彫りだったものを、第二次世界大戦時中の修理では石製の鯱になり、昭和23年6月の福井大震災により棟から落下して現在の場所に残っているものです。 現在、天守閣の上にのっている鯱は、昭和27~30年に元の木彫銅版彫りに復元したものです。 ってことは、この子達が本物! 霞ヶ城 名の由来 天正3年(1575)織田信長が越前の一向一揆を平定後、柴田勝家の甥、伊賀守 勝豊が豊原からここに移り丸岡城築城した。 豊原は一向一揆の最後の根拠地であった為、築城後も一揆の残党が攻撃をしかけて来た。 しかし、この井戸から大蛇があらわれ城に“かすみ”をかけて城を救った。 この伝説が『霞ヶ城』と呼ばれることとなり、現在でも春先になると、すっぽりと霧で覆われた霞ヶ城を見ることが出来るそうです。 伝説「人柱お静」 丸岡城築城の際、天守閣の石垣が何度積んでも崩れるので、人柱を入れることにしました。 貧しい暮らしをしていたお静が、自分の息子の一人を武士に取り立ててもらう約束をし、天守中柱の下に埋められました。 ほどなく天守は完成したが、柴田勝豊は近江長浜城に移封となり、お静の子は侍にしてもらえませんでした。 お静の霊が、毎年、年に一度の藻刈りをする卯月ころになると、春雨で堀には水が溢れ、人々はこの雨を「お静の涙雨」と呼び、小さな祠を建てて、霊を慰めました。 丸岡城公園の桜は日本さくら名所100選に選ばれているそうなので、時期が合えばボンボリと共にライトアップされた丸岡城が見られますね。 丸岡城を見上げる位置に、そば処『一筆啓上茶屋』があります。 丸岡城住所:福井県坂井市丸岡町霞町1-59 資料館入館料 大人300円 駐車場無料 ビジネスホテル | カップルステイ | 家族旅行 | ペットホテル | ANA+宿泊 | JAL+宿泊 |航空券 | 高速バス | レンタカー | ディズニーホテル | いい湯だな♪温泉宿予約 | 福井県の宿 | お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011/12/25 07:10:07 PM
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