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カテゴリ:岡崎市
岡崎東公園の世尊寺境内に近藤孝太郎の歌碑があります。「海の記念碑」と「三景船主砲砲弾」、また文化の散歩道があり、茶室「等じゅ庵」や岡田撫琴(ぶきん)の句碑があります。
東天竺山世尊寺(せそんじ)は通称を釈迦堂といい、岡崎市出身の世界的地理学者志賀重昂氏(1863~1927)の発願により建立されました。 東天竺山なる山号は志賀氏自らの、世尊寺なる寺号は 東本願寺法主 大谷光演氏の命名によるものです。 志賀氏は、第3回海外学術旅行で欧米諸国を歴訪の途中、泰国(タイ)、印度(インド)、錫蘭(セイロン)、緬甸(ビルマ)の仏跡を巡拝し、仏像、仏画、仏石等を収集して大正13年に帰朝、釈迦牟尼世尊(金銅説法立像)の祭祀と祭殿建立の企画案とともにこれらを岡崎市に寄付されました。 このことをもとに釈迦堂建設計画が進められましたが、昭和2年志賀氏が享年65才で逝去されたため、この計画も一時中断となりました。 しかし、生前から同氏と親交の深かった人々の努力と、岡崎佛教会の新たな参画により資金の目処も立ち、昭和4年4月20日仮堂が完成し、今日に至っています。案内文より。 世尊寺は「三河十二支霊場」第02番。 「開運三面大黒天」三面大黒天とは、大黒天、 毘沙門天、弁財天の三つの顔を持った三徳合体像の仏様です。 太閤秀吉が立身出世するのを助けた守護神でもあります。(京都圓徳院) 世尊寺境内に「近藤孝太郎の歌碑」があります。 碑には、「こころしつかに けふ白梅の淋しさを 見ているごとく つねにかもあれ」と刻まれています。 近藤孝太郎氏の歌碑は、岡崎市出身の芸術家、思想家、社会運動の先覚を記念するために建てられたものです。 世尊寺住所:愛知県岡崎市欠町天上田東公園 東公園文化の散歩道には他にも、 不蔵庵龍渓が設計した由緒ある茶室 「等じゅ庵(とうじゅあん)」、 「年魚いまだ 膳に上らず ほととぎす」岡田撫琴(ぶきん)の句碑があります。 「海の記念碑」と「三景船主砲砲弾」は、東公園の広場にあります。 シンボルとなっている碇は戦艦長門の碇で、戦後まもなくビキニ環礁でアメリカ合衆国の原爆実験の標的にされたときの唯一の遺品です。この碑により人々に戦争の悲惨さを知らしめ 我国の恒久平和を願う象徴として設置されました。説明文の概要。 なんでこんな場所に海の記念碑があるの?と思いましたが、説明文を読んで納得。 戦争を知らない子供たちに、戦争の恐ろしさを知らしめ平和を願う心を養う為にも、公園に設置をしたのですね。 ビジネスホテル | カップルステイ | 家族旅行 | ペットホテル | ANA+宿泊 | JAL+宿泊 |航空券 | 高速バス | レンタカー | ディズニーホテル | いい湯だな♪温泉宿予約 | 愛知県の宿 | お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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